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一、アラブの盟主

 わたしは平成8年1月末から半年間、エジプトのアレキサンドリアと云う町で暮らしました。エジプト政府農業省の水産養殖公社で技術指導をする仕事に、国際協力事業団(JICA)から派遣されたのです。JICAについては改めて、別 の日にお話したいと思います。

 エジプトは初めての国でしたし、英語はいくらか話せてもアラビア語はまったく駄 目ですので、でかける時はとても緊張しました。

 最近は海外旅行のブ−ムのおかげでエジプトにも多くの日本人がでかけていますが、わたしのように長期間、それもひとりで現地の人たちと一緒に仕事をしますと、観光旅行とは違う素顔が見えてくるものです。

 エジプトは日本とはまったく文化も歴史も違う国です。いろいろと教えられたり、考えさせられることもありました。  エジプトはアジアの国の一つですと云うと何を馬鹿なと思われる人が多いことでしょう。実際地図で見ればエジプトはアフリカ大陸の北東に位 置していますから、アフリカの国の一つと思えます。しかしアフリカの国でもあり、アジアの国でもあると云うのが正解なのです。

 実はスエズ運河のあるスエズ地峡がアジアとアフリカの両大陸の境目になっていて、エジプトはその両側に国土を持っています。従ってアジアでもあり、アフリカでもあるのです。

 面白いのはエジプト人の多くは自分たちの国をアフリカの国とは思っていないことです。文化面 ではグレコ・ロ−マン時代からずっと、地中海を挟んでギリシアやイタリアと深いつながりがあります。生活習慣や言語の中にも、南欧との似たところがよく見受けられます。しかしエジプト人にとってヨ−ロッパは異文化であり、意識の奥深いところで絶対に相容れないわだかまりを感じているようです。ロ−マ帝国時代、ナポレオンの遠征から十字軍、イギリスの植民政策、第二次世界大戦さらには中東戦争と、エジプトの歴史を振り返れば、わだかまりのわけもわかる気がします。

 では現代のエジプト人は自分たちをどのように考えているかと云うと、それは簡単です。エジプトはアラブの国なのです。アジアでもアフリカでもなく、もちろんヨ−ロッパでもない国々、それがアラブです。エジプトはそのアラブの盟主を自負しているのです。

 エジプトの国を地図に描くのは簡単です。所々に穴の開いた茶色い大きなテ−ブルクロスの真中に青竹で作った柄の長い熊手を置きます。後はテ−ブルクロスの右上を下から少し斜めに裂いて小さな隙間を作ればそれがエジプトです。

 茶色いテ−ブルクロスは砂漠です。青い竹の熊手がナイル河です。右上の小さな裂け目はスエズ運河、裂け目の右側の小さな三角形が中東戦争で有名なシナイ半島、テ−ブルクロスに所々開いた穴がオアシスと云うわけです。  エジプトの首都カイロは、熊手の広がりの付け根の要の位置にあります。熊手の広がった部分は、ナイル・デルタと呼ばれています。わたしの暮らしていたアレキサンドリアは曽野熊手の広がった部分の先端の右側にあたります。  ナイル河は世界で二番目に長い川です。しかしわたしの第一印象ではそんなに大きな川と云う感じはしませんでした。河幅も大野川よりもずっと狭い感じです。水面 は河幅一杯に広がっているのですが、流れはほとんど止まってみえます。川と云うよりは細長い池のような感じなのです。実はそのわたしのナイル河への第一印象が、エジプトのおかれている水資源の現実そのものだったのです。 (続く)

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