わたし(井手口良一)の政治理念
わたし(井手口良一)の政治理念や政策に対する考え方を、分かっていただくため、その時その時の出来事や重大関心事に対してのわたしの考え方をまとめてみます。
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少子化対策について
あすなろ22号巻末コラムより
井手口良一
日本は今、少子高齢化時代への急速な変化に見舞われています。合計特殊出生率(女性が一生のうちに生む子供の数の平均)は1.27にまで落ち込んでしまいました。先進国の中でも、その率が特に低いばかりでなく、その減少傾向のスピードもまた群を抜いて速くなっています。
出生率の減少は確かに人口減に結びつきますし、人口構成から見て高齢者ばかりが多くて、これを経済や介護の面で支えなければならない、所謂、生産人口が少ないという社会的にいびつな状況が現出してしまうことになります。
しかし、ここで少し立ち止まって冷静にならなければなりません。一体日本という国の人口が何人だったら日本国民の幸せな生活を保障できるのでしょうか。
少なくとも高齢者の生活を保障するために子供が必要なわけではありませんし、企業の経済活動のための労働者の数を確保するために我々がいるのではなく、我々の人口を支えるだけの就職口があればいいはずです。
わたしは少子化対策とは「生めよ殖やせよ」というのではいけないと考えています。本来子供を生むかどうかの選択権は、個人に付託された究極の自由選択権であり、社会のためとか、ましてや国力向上のためにあるものではありません。
この地球上の人口は未だに増え続けています。世界中で食料を輸出できる国の数も減る一方です。日本もその食料の自給率からいえば、今の半分くらいが養える人口ということになるのです。
たくさん生んでもらうための施策ではなく、折角結婚し、子供を生み育てようとしている方たちを、しっかりとサポートし、少ない数の子供たちを、将来、国と世界のために役に立つ人材に育てるための仕組みを作ることこそが、今求められている少子化対策ではないでしょうか。
そして、一時期そのいびつな人口構成の時期を通過するために、どの世代かが少し高齢者としての生活の不自由さを我慢しなくてはならないとしたら、それは戦争も飢餓も知らず、過当競争さえからも距離のあった昭和20年代生まれの世代こそが、その世代ではないでしょうか。少なくともわたしはそう覚悟を決めているところです。