わたしの出エジプト記は1996年2月から7月までの半年間、JICAからエジプトに派遣されて滞在していた時の滞在記を本にしたものです。同年、大分合同新聞に連載されていたものを中心にまとめました。全部で42話です。本をご希望の方には分価1,500円でお分けしています。

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二、

ナイル河

 ナイル河が世界で二番目に長い川であることはよく知られています。そのナイル河のエジプトとス−ダンとの国境にアスワン・ハイダムがあり、ハイダムによってできたナセル湖が世界最大の人造湖であることも教科書で習いました。

 今回わたしはそのナセル湖にも出かけることが出来ました。折角アレキサンドリアまで来たのだからとエジプト政府のハイダム開発庁から要請され、ハイダムの堰堤のすぐ脇にある漁業管理センタ−と種苗生産センタ−に調査と技術指導を兼ねて招かれたのです。

 1953年にイギリスの援助でアスワンダムが完成しています。しかしエジプトの人口増加に見合うだけの耕作地を潤す水は確保できず、当時のナセル大統領がアスワンダムのすぐ上流にもっと大きなダムの建設を計画したのです。それがアスワンハイダムです。

 ハイダムはドイツと当時のソ連の助力で1972年に完成しました。ダム堰堤の長さが3.6キロ、高さが120メ−トルもあります。ダムによって出来たナセル湖は全長500キロ、面積5,000平方キロもあり、湖岸線の延長はなんと7,000キロにもなります。このダム湖からは年間3万トンもの淡水魚が漁獲されています。

 ハイダム建設は有史以前からナイル河の氾濫と砂漠の水不足に苦しめられてきたエジプトにとって、死活をかけたとも云える悲願の大プロジェクトでした。

 そのナセル湖のス−ダン国境に近いところに有名なアブシンベルの神殿があります。ナセル湖の湖底に沈むはずだったその神殿を救うために、ユネスコの呼びかけで世界中から寄金があつまり、もとの位置から100メ−トルずらして復元されたのです。今では世界遺産にも指定され、エジプトの重要な観光スポットのひとつになっています。

 ハイダムはナイル河の氾濫を防ぎ、貯えられた水を灌漑に利用して砂漠を耕地に変えるために造られました。しかし計画通りにはなかなか行かないことが分かってきたのです。

 確かにハイダムができたおかげで、ナイル河下流の洪水はなくなりました。しかし洪水によってもたらされていた豊穣な土壌も供給されなくなりましたし、洪水によって洗い流されていた生活排水などの汚染物質も、そのまま堆積してしまうようになりました。

 乾燥地帯を流れてくるナイル河は、長さこそ世界有数でも水量そのものは少ないのです。白ナイル源流のビクトリア湖周辺のケニア、タンザニア、ウガンダや青ナイルの源流エチオピアでは洪水を起こすほどの雨も降るのですが、ス−ダンから下流は砂漠地帯ですから河の水は増えません。

 ス−ダンとの取り決めでエジプトのハイダムからの取水量は最大555億トンと決められています。これは九州の年間降水量の合計よりも少ない量なのです。その水を日本の国土の2.7倍もある広大な砂漠に振り分けてしまうと、正しく焼け石に水と云う訳です。

 おまけにハイダムで塞き止められ、その流入量のほとんどを灌漑や生活用水として吸い上げられては、ダムより下流に流れる水も乏しくなってしまいました。西方砂漠やシナイ半島のオアシスを除いてエジプトの人口のほとんどがナイル河の辺に住み、飲料水、生活用水をナイル河に依存しているのです。

 ナイルという名前の細長い池のあちこちから水が汲み出され、生活排水が再び流し込まれていると云うのが今のエジプトの水資源の現実なのです。ナイル河には水が流れていないと云う、わたしの最初の印象にはそういう背景があったのです。

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