わたし(井手口良一)の政治理念
わたし(井手口良一)の政治理念や政策に対する考え方を、分かっていただくため、その時その時の出来事や重大関心事に対してのわたしの考え方をまとめてみます。
その第2回目としてイラクへの自衛隊派遣問題に対するわたしの考え方をまとめてみました。
ご意見、ご感想、ご反論など教えてくだされば幸甚です。メールをお待ちしています。
イラク派遣5つの嘘
平成15年12月
あすなろ20号掲載
井手口良一
ついに12月9日、自衛隊のイラク派遣実施要綱が閣議決定され、小泉首相の記者会見がありました。奇しくも日米開戦真珠湾攻撃の日の翌日です。
その後、イラクではフセイン元大統領が発見、拘束されましたが、イラクの状況に大きな変化があるわけでもありません。私自身は国連による復興のためのアクションプランの作成と、それに基づいたPKOの編成の無いままの自衛隊派遣には反対です。
しかし先の総選挙で小泉首相が信任されました。日本が民主主義国家である以上、今回の自衛隊派遣の閣議決定は当然の結果と諦めざるを得ません。
それでも小泉首相の記者会見を眦を決する勢いで見ました。そして散りばめられている、その論理のすり替えと確信犯的な嘘に、腹立たしさを覚えることを抑えられません。
その嘘とは5つあります。つまり、
@ 国際協調のためという嘘
「今回の派遣は国連の要請に基づく、国際貢献の一貫としての派遣である」と首相は言いました。しかし、これは真実ではありません。国連は各国の判断によってできるだけの対イラク支援をしてほしいといっているだけで、日本に自衛隊派遣を要請してはいません。
国連が何らかの軍事的貢献を加盟各国に求める場合、国連軍、PKOやPKFの編成を前提とします。今回は編成されていません。
日本が自衛隊による国際貢献をすること自体は、国連がその必要性を認める場合、必要と考えますが、その場合でも国連軍のメンバーとしての活動でなくてはならないと私は考えています。
今回は国連軍が編成されないばかりか、NATO軍でさえドイツやフランスは派遣を拒否しています。つまり今イラク国内に存在する外国軍はすべて、米英を中心とする私軍なのです。
A イラクに民主国家を樹立するためという嘘である。
小泉首相は「イラクに民主主義国家を樹立するために必要な派遣である」とも言いました。これも嘘です。アラブの国々に日本や米国のような民主主義国家の体制をとっている国はありません。殆どが王制か、部族長の集団合議制などであり、まあ、一番民主主義に近い体制のエジプトでさえ、未だに軍事政権なのです。
世界中が民主主義体制でなくても、平和に暮らしている国はいくらでもあります。何より、サダム・フセインの国内圧制を黙認したばかりか、一時期は支援さえしてきたのも、実は米国です。米国にとってフセインが民主主義者で無いからいけないのではなく、反米だから抹殺しようとしているに過ぎません。
更に言えば、米国はイラクに民主主義政権を樹立といいながら、イラク国民の大多数が希望している直接選挙権を認めず、米国傀儡政権を作るために、コントロールしやすい間接選挙制を押し付けようとしています。これは明らかに、国際社会とイラク国民に対する裏切りであり、独仏政府が強く指摘するところです。
B 日米同盟のためという嘘である。
「日米同盟を堅持することが日本国益である」とも主張しました。これも私は信じていません。
日米同盟、日米安保条約は本当に日本の安全保障にとって、絶対になくてはならないものでしょうか。
「たとえば日米安保条約の核の傘の下にいるからこそ、北朝鮮は日本に手を出せないでいるのだ」とも首相は主張しています。
もし仮に北朝鮮が勧告や日本に対して軍事的行動をとったとしたら、それこそ国際世論が黙っていません。国連軍を編成して国際協調の下に、北朝鮮に対して報復措置をとることでしょう。
どんな理屈であれ、どんな大国であれ、一つの国が他国を軍事侵略し、占領を続けていいはずがありません。日米同盟という名目で、それに加担することは許されないことであり、その許されないことに自衛隊員の生命を危険にさらしてまで殉じることしか、日米同盟を維持する方策がないとしたら、それこそ日米同盟は対等ではなく、屈辱的、被圧的な関係であることの証明になってしまいます。
C 自衛隊員が自らの名誉と使命感によって、派遣を選択したという嘘です。
「自衛隊員は使命感に燃え、名誉あることと感じながら、派遣されることを望んでいる」とも小泉首相は言いました。
私はこの発言にもっとも怒りを感じています。文民統制下にある自衛隊員は、政治判断による指示命令に、賛同したり、反対したりすることは許されていません。
今回の問題でも、派遣の可否について自衛隊から正式な声が聞こえてこないのは当然であり、もしそのような発言があったとしたら、それは憲法違反ということになります。自衛隊員は規律に忠実ですから、それをきちんと守っています。
それをいいことに、まるで自衛隊員が自らの意思で行こうとしているかのような錯覚を、国民に与えようとしているのは、首相が今から万が一の場合の逃げ道を、確保しようとしていることに他なりません。
自衛隊員が国内はもちろん、海外へはなおのこと、自分たちの意思で派兵の可否を判断することになったら、戦前の日本に逆戻りです。だからこそ、自衛隊は政治の判断によってなされた派兵判断に、無条件で従うしかないのです。だからこそ、自衛隊員の生命に対する政治の責任は、その生命そのものの重みと同じだけ重いのです。
自衛隊員は入隊時の宣誓文への署名や日ごろの訓練を通して、日本国民のためにはいつでも、わが身を危険にさらしての活動に赴くだけの心の準備をしています。それでなくても、若くまじめな隊員たちは反射的にも、自らの生命よりも、国民の生命に重きを置くのです。
だからこそ、政治の責任は重く、その判断を下そうとしている政治家を積極的に信任した国民、総選挙に棄権するという行為で、消極的に信任した国民には、等しくイラクに派遣されるであろう自衛隊員の生命に対して責任があることを自覚するべきです。
D 最後に憲法解釈の嘘です。
これを機会に多くの皆さんにもう一度、小泉首相が一部を引用した日本国憲法の前文を読み返していただきたいのですが、日本国憲法の前文は、世界中の国が日本国憲法の精神を理解し、共に平和主義に徹した国際貢献に徹するべきといっているのであって、日本国が世界の常識(?)に合わせて、軍事的貢献をも行うべきといっているのではありません。
正反対のこじつけ憲法解釈を堂々(?)と国民に示し、日本国民、自衛隊員、米英を除く世界の国々、とりわけイラク市民を丸め込もうとする、そんな首相を、選挙の結果とはいえ、信任したことを、我々は自らの政治上の責任を歴史に刻まなければならないでしょう。
自衛隊イラク派遣法成立に思う
平成15年8月
あすなろ18号掲載
井手口良一
7月25日未明、怒号と混乱の中で自衛隊イラク派遣法が参議院本会議で可決され、成立することになった。わたしは前号でイラク戦争そのものに反対する考えをお伝えしましたが、今回の自衛隊派遣法については、さらに強い危機感を感じざるを得ません。機会あるごとに訴えてきましたが、戦後一貫して日本は国際紛争を戦争によって解決することを否定し続け、戦争行為によって外国人を殺害することも、また自衛隊員が殺害されることもなくもうすぐ60年経過しようとする世界中の先進国中、奇跡とも云うべき平和を実現してきました。
一方で自衛隊は最新鋭の兵器と優秀な人材を多数有して、世界でもトップクラスの軍事力を有するようになりました。わたしはこのことを否定しません。否定するどころか、今後とも通常兵器によって自衛力を向上させるためには、十分な予算を確保するべきとも考えています。そしてそれが全て無駄になることを日本として最大の誇りとすべきとも考えています。
自衛隊員は消防隊員や多くの警察官がそうであるように、日本国民、市民の生命財産を守るためであれば、例え自らの生命を危険にさらすことをも厭うことはありません。派遣国に於いては当然ながら、その国の一般市民の生命や財産を自らの生命よりも優先することも厭わないのです。であるからこそ、自衛隊を大義名分のない、死地に送り込むことは絶対にしてはいけないのです。
日本は太平洋戦争の苦い経験から、自衛隊を完璧な文民統制の管轄下に置いています。このことは武力の行使が政治の最後のそして最悪の手段であることからして、当然の体制です。しかし、そのことは政治が自衛隊員の生命に対して全ての責任を負うことでもあるのです。政治家の場当たり的な政治の道具として、自衛隊を、それも自国民の救済にも、国連レベルでのコンセンサスを伴う当事国の国民の生命財産を守ることにも、何ら関係のない理由によって、生命の危険にさらすことはぜったに合ってはならないのです。
政治不信が云われるようになってずいぶんと立ちますが、日本人は怒ることさえ忘れてしまったのでしょうか。「いつか来た道」と云う予感を感じる国民は多いと思います。戦争が無能な政治家のプロパガンダの手段として使われ、自衛隊員が文民統制下にあって何も語ることなく死地に赴かされることだけは、金輪際あってはなりません。
もう一度繰り返します。自衛隊を政治の道具にしてはいけません。「大義のない死地」に送り込んではいけません。法律は成立してしまいましたが、今後とも粘り強く派遣阻止に向けての行動を起こすべきと、わたしは決意を新たにしています。