小説    密談ー1   密談ー2



密談

三、

 ‥‥‥葉月下旬の或る日、赤松小三郎が西郷に面会を求めてきた。赤松は信州上田の真田藩士で洋式兵学者として著名である。薩摩藩でも赤松に兵学教授方として禄を与え、彼の私塾に多くの藩士を通わせていた。家老の小松帯刀は特に赤松の見識を信頼している。小松を通じて赤松は国父久光公にもお覚えがめでたかった。赤松は大政奉還論の擁護者でもある。小松を説得し、久光公にも意見具申して支持を取り付けるなど、大政奉還策を推進する土佐藩の動きに側面からの援助をしてきていた。

 大久保たちが挙兵延期を土佐藩に約しておきながら、開戦の準備を進めていることを塾生の誰かから聞いたらしい。赤松は西郷のところへ、それを抗議にきた。彼は武力倒幕派の中心人物を西郷と思っているのだ。

 西郷は何も知らない。この頃、既に細かい策略は全て、大久保が岩倉村で決めてくるようになっていた。西郷には細かいことを一々知らせないまま、大久保が陰で動いているのだ。

 西郷は例によって殆ど自分の意見を云わなかった。赤松はそのためにかえって興奮し声を荒げた。

「一旦は倒幕挙兵の延期を約して置きながら、挙兵の準備を続けるのは裏切りではありませんか」
「西郷先生ともあろう御方が二枚舌を使わるるか」
などと声高に責めたてた。

 その声を断片的ながら聞いていた者がいる。中村半次郎である。中村は常に西郷の身辺から離れることがない。この日も御用部屋から渡り廊下を隔てた控えの間に詰めていた。西郷の御用部屋と、広縁を曲がってすぐの、その控えの間とは六間と離れていなかった。

 翌月の三日、その赤松小三郎が殺された。西郷へ強談判してから六日後のことだ。
 殺したのは中村半次郎である。中村はその襲撃に同郷の田代五郎佐衛門を誘っている。その日、ふたりは魚棚通東洞院の角で赤松を待ち伏せた。先に赤松を見つけた中村は、素早く赤松の前に立った。そして一言も口を開かないまま、袈裟掛けの一刀で仕留めたのだ。田代はあっと云う間もなかったという。血飛沫を避けて飛び退いた中村は、悪戯小僧が枝先の柿の実でも取ってきたような顔をして、田代ににっこりと笑って見せたらしい。

「俺を誘ったのは見届け人が欲しかっただけのことじゃろう」
田代が笑いながらそう話しているのを吉井幸輔が耳にした。吉井はすぐに西郷に報告した。

 中村は赤松の塾に時折通ってはいたが、個人的な付き合いはないはずである。まして彼らの間に諍いがあったとは聞いていない。

 事件を知ると西郷はすぐに大久保を呼んだ。
「一蔵どん。半次郎どんを差し向けたのはお前様ごわすか」
「俺は知りもはん」
 大久保は顔色も変えずに答えた。顔色を変えないように必死だったと云う方が正しいかもしれない。西郷はこの時、初めて嫌悪の眼差しを大久保に向けたのだ。

 西郷の大きな眼は龕灯(がんどう)のように、大久保の心の奥底まで照らし込んだ。大久保はその視線に圧倒されながらも、目を逸らすことも身動きすることも出来ない。
 やがて西郷の眼光が和らいだ。大久保が直接には無関係であることを認めたのだ。中村は赤松の襲撃を自分の判断で決めたらしい。中村の動機は不明である。しかし大久保には想像は出来た。

「あん男は西郷先生に無礼ばはたらいた」
おそらくはそれだけだったろう。
 中村が誰からも密命を受けていなかったことは、大久保が誰よりもよく知っている。その種の密命を中村に出してきたのは大久保だけであり、中村が大久保以外の誰かの命令を聞くことは有り得ない。

 しかし、次に西郷がとった行動の意外さに、大久保は思わず我が目を疑った。
 西郷は畳に手を突いたのだ。大久保は思わず慌てた。
「一蔵どん、これまでんことはもうよか。しかしこれからはもう、半次郎どんを刺客に使うのは止めて頼もんせ」
 西郷は大久保を責めているのではない。責めているとしたらそれは自分自身である。その心はまっすぐに大久保の胸に突き刺さった。大久保は無言のまま頭をさげた。
‥‥吉之助様(さあ)、申し訳なか。半次郎どんはお返しもす。もう遅かかも知れもはんが‥‥

「中村様はまるで薩摩犬のようやなあ」
藩邸の小者たちの囁きあう声が耳に蘇った。
 「薩摩犬」は薩摩独自の狩猟犬である。もともとは軍用犬だったらしい。「薩摩犬」は主人の敵を見出した時、主人を守るためには我身を捨てて戦う。長い時間をかけて、そういうふうに淘汰され調教されてきたのだ。

 大久保が半次郎に「暗殺」を示唆する方法は単純だ。ただ一言
「吉之助様(さあ)の御為にならぬ男でごあんど」
と中村の耳元で囁くだけである。
 それだけで大久保の目的は確実に達せられた。中村に大久保の囁きは拒絶できない。主人の一番の親友である大久保が、主人の命を脅かそうとする敵を教えてくれる。中村は盲目的に敵に向かうしかない。中村が「薩摩犬」と呼ばれるようになったのも、本当の意味はそこにあったのかも知れない。
 大久保は早くから中村の「薩摩犬」としての素質を見抜いていた。大久保はその素質を巧みに利用して、優秀な暗殺者を育て上げたのだ。

 赤松の件は大久保の意図したものではない。それはついに「薩摩犬」が自らの判断で行動を起こすようになったということだった。それがどれほど危険なことであるか、中村を「薩摩犬」に仕立てあげた大久保自身が一番よく知っていた。

 大久保にとって問題なのは、自分が薩摩犬の調教師ではあっても、主人ではないということだ。中村を拾い、育てたのは西郷である。主人の位置は不動であり、大久保の入り込む余地はない。

 主人である西郷には、中村が何を基準に敵を識別するのかは分からない。基準は調教師である大久保が繰り返し教えてきたものである。しかし今となっては、いつ大久保自身がその基準を満たしてしまうか予測は出来なかった。それでも大久保に中村を疎ましく思う気持ちは湧いてこない。大久保もまた中村の気質を愛していた。中村は薩摩人好みの男の典型なのである。

 西郷自身は中村が「薩摩犬」になったことを悲しんでいた。中村の陰の働きの成果を耳に入れる度に、中村を呼んで不心得を諭した。中村は二度と陰の仕事はやらぬと誓わされる。火山灰の降り積もる吉野村の芋畑で、黙々と鍬を振るっていた中村を、京へ連れてきたのは人殺しをやらせるためではないのだ。中村の気質を愛し、彼に相応しい場所を探してやりたかっただけなのだ。

 大久保とは別の意味で西郷は中村の振舞を恐れた。中村は彼の持つ別の顔を、自分には一度も見せたことがない。自分の前では無邪気な小犬のように振舞う中村が、時として狼のごとく変身する事を西郷は何とか止めさせたかった。もう二度と薩摩から田中新兵衛のような悲劇の男を出したくなかったのだ。中村を手元から離さなくなったのも、実はそのためだった。

 ‥‥だがこの時も西郷の次の言葉は大久保を驚かすものだった。

「まだまだ俺どんも、半次郎どんに斬られるわけにはいきもはん。そうごわそう、一蔵どん」

 西郷は確かにそう云った。大久保には西郷の言葉の意味が理解できなかった。中村から刃を向けられかねないのは自分の筈である。西郷はそれを恐れて中村を遠ざけてくれたのではないのか。

 太陽が西から昇ることはあっても、あの中村が西郷に刃を向けることなどは有り得ない。西郷は何を云おうとしているのか。心のさざなみを押え込みながら、大久保は西郷の次の言葉を待った。しかし西郷はそこで口をつぐんでしまった。いつまでも黙っている西郷に大久保は根負けした。

「是が非でも、こん事は吉之助様(さあ)に承知してもらわにゃあなりもはん」

 西郷はゆっくりと問い返した。

「一蔵どんは今まで、こん手ん話を俺(おい)にしたことがなか。俺の知らんところで、新兵衛どんや半次郎どんは働いちょった」
 そこで西郷は一度言葉を切った。西郷の声は穏やかだった。大久保にはその穏やかさがかえって無気味に思えた。

「俺(おい)は事前に知らぬことが多かった。お前様(まんさあ)から知らされたことは一度もなかった。俺(おい)が知れば反対すると知っていて、お前様(まんさあ)が俺(おい)に知らせずにやろうとしたことじゃろう」

「俺(おい)はお前様(まんさあ)を信じてきたし、陰の仕事をお前様(まんさあ)一人で引き受けてくれると感謝もしてきた」

「そいどん、今度だけは止めてくやい」

 しかし大久保は引かなかった。引くわけにはいかなかったのだ。何かとてつもなく大きく、力強いものに背中を支え込まれていた。脳裏のどこかをまた、あの友山入道のツガニの甲羅のような顔がよぎっていた。

四、

 ‥‥‥あの日、大久保は例によって岩倉村にいた。前の晩までの進捗状況を報告し、倒幕の密勅降下を早期に実現するための方策を相談していた。陽が大きく傾き始めた頃、お互いの役割分担の確認を最後に密やかな作戦会議は終わった。

 辞去しようとした大久保を引き留めておいて、入道が妙なことを云い出した。

「大久保君、君らの錦小路の藩邸やがなあ。あの寺がもともとは油小路の方にあったゆうこと、知っておじゃるかな」

 薩摩の武士はこういう場合、知っていても知らなくても口を開かない。この時も黙って次の言葉を待った。入道は切り炉に爺むさく手をかざしながら続ける。

「藩屏(はんぺい)いう言葉は知っておじゃるなあ。朝廷には表の公家と裏の公家があるのや。表の公家は官位も高いし、陽の当たるところへも上りよる。そやけどほんまの藩屏ゆうんは陰の公家のことや」
 入道はそこで一度言葉を切って、大久保の顔を覗き込んだ。ニマニマと笑いながら大久保の戸惑いの表情を楽しんでいた。

「徳川家が三百年近くも覇権を持ち続けることができたんも、実は朝廷のこの仕組みを真似たからや」
大久保は怪訝な顔をしながらもまだ口を閉ざしている。黙っているしかなかったのだ。相手が何を云いたいのか、まったく検討がつかなかった。

 赤味を帯びた秋の日が差し込んでいた。その光がまぶしくて相手の顔が見えにくい。法界坊のように髪の伸びかけた入道の頭の向こうに、急に大きな闇が広がって見えた。

「家康と云う男ははしこい男や。内大臣をやっていたのはほんの少しの間やったんやが、いつのまにか朝廷の陰の公家の存在をかぎつけよった。しかもやなあ。知らん顔して自分の家にも同じような仕組みをつくりあげよった。天皇家を真似しよったんや。えらいもんや。真似しただけで三百年ももたしよった」
 友山公はそこでうれしそうに小声を立てて笑った。

「徳川家が三百年なら天皇家は三千年や。三千年もの間、この国で生きながらえてきたんやで」
 大久保は不思議な慄きを覚えていた。何か思いも寄らぬところへ、連れ込まれてしまいそうな予感がした。
「君は中臣鎌足とか和気清麿とかゆう名前を知っておじゃるかな」
 陰の藩屏は天皇家存亡の危機の時にのみ機能する。その時だけ歴史の表舞台に姿を現わすのだ。上古に一度、中世に一度、その仕組みが歴史の水面近くまで姿を現している。蘇我氏がそれで滅び、弓削道鏡が消えた。

「中臣は藤原のことや。藤原も和気も名も知れぬ低い身分やったのが、急にえろうなった。一度使われた陰の藩屏は人目に晒されて、二度と同じ役には立たんのや」
功労者になることが、陰の公家が表に出る唯一の機会ということか。

「もう一度、陰の藩屏が動いてる。三百年前に、君らの借りてる、その寺でな」
薩摩藩の錦小路藩邸は寺を借り上げたものだ。寺を思わせる堂塔は今はもうない。先年の禁門の変の時に焼け落ちてしまっていた。

 寺は三百年前までは油小路にあったという。東西一町、南北二町の広大な寺域を有していたが、豊臣時代の町割りの時に寺域を分割された。今は昔の面影もない。その町割りの時に油小路から今の錦小路に移って来た。大久保でさえ寺の名前を気にかけなかったほど、三百年前のあの事件は遠い昔の出来事だった。
 寺の名前は「本能寺」という。

「そうや、織田のことや。明智は貧乏籤引いてしもうたが、豊臣を見てみい」
 入道は明智も豊臣も実は陰の藩屏だと云った。織田信長は朝廷そのものを否定しようとした。天皇に変わって自分がこの国の王者になろうとしたのだ。それを察して陰の藩屏が動いたのだ。朝廷から密かに送り込まれていた豊臣と明智が、それぞれの役回りに従って織田の野望を打ち砕いた。

「大久保君、なんで麿がわざわざ、この話を君にしたと思うておじゃる」
 一呼吸の後、大久保の頭にひらめくものがあった。大久保が思わず表情を変えた。その小さな変化を確認して、入道は満足そうな笑みを浮かべた。

「そうや。今また陰の藩屏が動かなければならぬ時が来たのや」
 入道はそう云った。
「幕府のことやないで。幕府はあくまで幕府や。朝廷の権威の傘の中にある。いずれ外夷の力が一番の驚異になるやろうが、これもまだ、すぐにどうゆうことはないやろ」

 そして次に入道の口を出た言葉に大久保は言葉を失った。入道はあの男の名前を上げたのだ。そして西郷の名前を連ねた。あの男の名だけでも驚天動地なのに、まして西郷の名前が出てくるとは。それは大久保の予想を遙かに超えていた。

「このままでは、あの男はいずれ朝廷にとって最大の敵になる。織田信長よりもさらに何倍も恐い男かも知れんのや」
「それを麿たちに教えてくれたのは、大久保君、誰あろう君や」
 大久保にはその意味がすぐには理解できなかった。大久保はほかの薩摩の青年たちと同じようにあの男を敬愛している。その自分がどうしてあの男を讒言するようなことをしたと云うのだろうか。

 あの男はなにより天皇家と民衆のために奔走していると、自身そう思っているだろう。事実そうである。大久保は誰よりもそれを知っているし、入道もそれを疑っているわけではない。むしろそれだから危険だと云うのである。大久保はあの男の目指しているものの全てを理解してはいない。ただそれが途方もないものであると云うことだけは漠然と感じていた。

 入道はその途方もない何かに注目している。大久保の考えの及ばない奥深いところで、その重大さを察知していた。危険は早目に除くに如くはないと云うのである。
「明智も可哀想なもんや。朝廷にとって第一の功労者やったのに今でもまだ汚名を着たまんまや。こんだもほんまの功労者はまず第一にあの男や云うのに、また除かれなあかん。なぜやろなあ」
 大久保には何を意味するのか理解できない。

「大久保君もあの男の紋所を知らぬわけではないやろ」

あの男の紋所は
‥‥確か「桔梗」だったはずだ‥‥
「ただの桔梗ではないで。麿たちは明智桔梗と呼んでいる」
 大久保は思わず驚きの声をもらした。その奇妙な因縁話には、大久保のような現実主義者でさえ虜にせずにはいなかった。

「朝廷はあの時、明智を利用して悪魔払いをした。そのくせ明智を利用したまま見捨ててしもうたんや。三百年もたってから、明智の恨みがこんな形で朝廷にたたるとは麿達にも見えなんだ。大久保君、君のおかげでそれが見えたんや」
 入道は前屈みのまま、薄笑いを浮かべながら大久保を見上げた。

「麿たちの世界はやな。大きな変化は好まんのや」
 あの男の思想は時さえも超えている。この国を遙か未来の見知らぬ世界へ連れていくかも知れない。入道の云う陰の藩屏にはそれが何より天皇家の危機に映るのだ。

‥‥ならば吉之助様は何故‥‥
と大久保は思った。その思いを見透かしていたように、入道はまた薄気味の悪い笑みを浮かべた。

「それともうひとつ、位打ちに動かされん人間もすかん。帝の与える位をありがたいと思わんちゅうことくらい、麿たちにとって恐ろしいことはないんや。どや君に思い当たるところがあるやろ」

‥‥そうだ。俺は確かにあの男をそんな風に評した。しかし俺はあの男を誉めたかったのだ‥‥

 まだひと月にもならぬ。大久保はこの同じ場所で、彼を地位や権力に拘泥しない男だと心の底から賞賛したのだ。

五、

 文月の八日だった。錦小路の藩邸では表門の高張り提灯に灯が入り、丸に十の字の定紋がくっきりと浮かび上がっていた。琵琶の入っているらしい大きな袋を抱えた侍が、次々に錦小路に入って行く。やがて錦小路から琵琶の音が響き始めた。琵琶の音は通りを抜けて四条通りまで聞こえてくる。

「薩摩琵琶の会やそうどすなあ」
「このご時世に薩摩はんは風雅なことどす」
などと行き交う人々が云い交していた。

 今年の都は残暑が厳しかった。それでも季節は確実にうつろいでいる。二本松の藩邸だけではなく、京の町のど真中のここ錦小路藩邸でも虫時雨が聞かれるようになっていた。その日、中岡慎太郎ほか数人の同志を連れてあの男がやってきた。いつものようにあの男と親しい吉井幸輔が応対し、しばらくしてから西郷の部屋へ案内してきた。大久保も呼ばれていた。

「また下宿先を移りました。今度は醤油屋ですらい。河原町の近江屋ちゅう店です」
 あの男はのんびりとそんなことを云いなら、懐から大きな図面を取り出した。
「西郷さん、きょうはこれを見てもらいに来ました」

それは倒幕成就の後に必要となる新政府の官制図だった。あの男としては少しでも大政奉還後の準備をしておきたかったのだろう。まだ政権を取れるかどうか見極めもつかぬ瀬戸際ではあるが、取った後の準備もしておこうというのだ。その見識に大久保は一本とられた思いだった。
 しかもその組織図は大久保の度肝を抜く程整備されたものだった。部署の配置、組織の完成度など一介の浪人志士の考え出したものとは思えない。

 大久保は思わず。
「これはお前様(まんさあ)の考えたものでごわすか」
と聞いた。

「亀山社中で洋学書の翻訳をしちょりましたろう。これもエゲレス国の国体を真似したもんですらい。少しはメリケンの制度も入っちょりますがね」
男は右手で頭を掻きながら、まるで悪戯小僧が悪戯の種を見破られたように笑った。

 西郷はその間じっと官制図に見入っていた。やがて顔を挙げると
「お前様(まんさあ)の名前がどこにも見えもさんが、お前様(まんさあ)はどこを受けもたるるとでごわすか」

各部署には候補者の名前が書かれている。いくつかの部署には複数の名前があり、別の部署は白紙のままになっていた。
 男は両手で頭を掻き始める。西郷も大久保もその癖にはもう慣れていたので格別驚きもしない。しかし彼の口から出た言葉には驚きを隠すことが出来なかった。

「わしは堅苦しいことは苦手ですけん。事が成った後はわしは引かせてもらいますらい。西郷さん、勘弁してください」
西郷も大久保も彼が何を云っているのか、すぐには理解できなかった。

 やがて西郷が感動の吐息を漏らし、その感動の波が広間全体に広がった。
「そいでは、何をさるるち云うとでごわすか」
「そりゃあまだ決めちょりません。とにかく政事(せいじ)は西郷さん達にお任せしますらい。わしは海が好きですけん、海の向こうへ行ってみようかと思うちょります。今度は世界の海援隊でもやりましょうか」
一座の間に賛嘆の声が上がった。

 あの男は
「ちゃっちゃぁ、わしとしたことが戯言(ざれごと)を申しました」
と云って照れ笑いを浮かべた。

 西郷が爽やかな笑顔を浮かべている。大久保は自分が急に小さく思えた。自分たちとは次元の違うところにあの男がいる気がした。
‥‥こん男には勝てん‥‥
 大久保は羨望と嫉妬の思いを禁じえなかった。 しかし大久保は自身の嫉妬心すら正確に認識する冷静さをもっている。他人への評価を自分の嫉妬心で狂わすようなことはない。薩摩人にとって至上の美徳は「潔さ」である。出処進退の「潔さ」は特に尊ばれる。大久保も西郷と同じようにあの男の廉潔さを評価し、感服したことに変りはなかった。

 その夜が更けて上弦の月が西山にかかり始めた頃、薩摩藩邸の琵琶の音が止んだ。しばらくするとまた琵琶の袋を抱えた数人の侍が現われ、裏門から蛸薬師の境内へ消えた。少し遅れてまた何人かの侍が、表門から錦小路を烏丸通りまで出て北へ曲がっていった。

 その翌日に大久保は洛北に隠棲している友山入道に報告するため、その新官制図の写しを持って出かけ、あの男の「潔さ」を誉め上げた。そして、こともあろうにその誉め言葉を理由にあの男は今、処断されようとしているのだ。

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