わたしの出エジプト記は1996年2月から7月までの半年間、JICAからエジプトに派遣されて滞在していた時の滞在記を本にしたものです。同年、大分合同新聞に連載されていたものを中心にまとめました。全部で42話です。本をご希望の方には分価1,500円でお分けしています。

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第四話

映画「十戒」とモ−ゼ

 もうだいぶん昔の話ですが「十戒」と云う映画を覚えている人も多いことと思います。あの映画は旧約聖書の「出(しゅつ)エジプト記」を元にしています。
 主人公のモ−ゼは奴隷としてエジプトにいた同胞であるイスラエルの民を引き連れて脱出し、神との約束の地カナンに導こうとした預言者として知られています。
 モ−ゼと云う名前は実はイスラエル固有ではありません。エジプト語の救われた者とか水から拾われた者とかを意味するム−サと云う名に起因しています。それはモ−ゼがイスラエルの血を受け継いではいても、エジプトで生まれていることを物語っています。
 モ−ゼが「十戒」を授かったシナイ山はエジプトでは「ガバル・ムーサ」、つまり「モーゼ山」と呼ばれています。このモ−ゼ山だけに限らず、ナイルデルタやシナイ半島にはモ−ゼに由来する旧跡がたくさんあります。
 モ−ゼはイスラム教とは違うユダヤ教やキリスト教のの預言者です。エジプト人にとっては優遇してやったのに、恩を仇で返した憎い男ということになるはずです。ところが意外なことに、モ−ゼはイスラム教徒である現代のエジプト人にも大切にされています。
 映画では神がモ−ゼたちを助けるために、海を二つに分けて海中に道を開くシ−ンがありました。海が二つに割れるなんて非科学的なと思っていましたら、地震学の専門家に科学的に根拠のない話ではないと云われて驚きました。
 スエズ地方やシナイ半島、紅海は地震の多いところです。スエズ湾や地中海沿岸の浅い海が、大地震で生じた津波に襲われたとすると「十戒」のシ−ンのような現象が生じることも十分考えられると云うのです。
 ところで旧約聖書を良く読むとモ−ゼは二度シナイ山に上っています。エジプトで生まれ育った若きモ−ゼは、同胞の苦難を助けようとしてエジプト人を殺してしまい、エジプトを一人で逃げ出します。そして辺境の遊牧民に助けられ、その遊牧民の娘を妻にめとり、自らも平凡な遊牧民として生きていました。
 その平和な生活の時に、神に呼び出されてシナイ山頂に登るのです。山頂で神から「エジプトに行って自分の使いとして、イスラエル人を救い出せ」との命令を受けました。
 モ−ゼはしかし、すぐにその命令を承諾したわけではありません。何度も迷った挙げ句に、渋々神に従っています。預言者モ−ゼの誕生です。モ−ゼはエジプトに戻りイスラエル人を説き伏せ「出エジプト」へと導くことになるのです。
 モ−ゼが活躍した頃のエジプトの首都はナイルデルタの真中にありました。イスラエル人は奴隷とはいえ、肥沃なナイルデルタの産物によって豊かな生活を保障されていたのです。エジプトで奴隷とは云え、物質的にはむしろ恵まれた暮らしをしていた、そのイスラエル人を、神はモ−ゼをして自由の地へと導かせしめたのです。
 自由の地はしかし食べ物も水すらも手に入れることの難しい荒野でした。しかも神の約束したカナンの地にはなかなかたどり着けません。苦難から救い出してもらったはずのイスラエル人たちは「折角エジプトで良い暮らしが出来ていたのに、こんな荒野のひどい暮らしに引きずり込むなんて。この大嘘つき野郎」とモ−ゼを罵倒します。
 モ−ゼ自身も自信を失いました。そして神に泣きつくために再び今度は自らシナイ山に登るのです。この時、神はモ−ゼを叱り、イスラエルの民を懲らしめた上で「十戒」を授けたことになっています。
 モ−ゼはその後も何度も神に泣きつき、その度に神に懲らしめられています。そのため彼自身は終に約束の地カナンを踏むことなく亡くなりました。
 「出エジプト記」は何を物語っているのでしょうか。そして現代の我々はそこから何を学ぶべきなのでしょうか。それをを考えてみるために、わたしはこのわたしのエジプト訪問記に「わたしの出エジプト記」とつけたのです。

 海抜2285mのシナイ山には夜中から上り始め、頂上でご来光を拝み、陽が高くならないうちに下山するのが楽です。
 写真左=下山途中からとった頂上の様子 写真右=頂上のご来光の様子

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