わたしの出エジプト記は1996年2月から7月までの半年間、JICAからエジプトに派遣されて滞在していた時の滞在記を本にしたものです。同年、大分合同新聞に連載されていたものを中心にまとめました。全部で42話です。本をご希望の方には分価1,500円でお分けしています。

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第五話

「シナイ山に登る」

 「出エジプト記」のモ−ゼに因んで、わたしもシナイ山に登ることができました。シナイ山はモ−ゼが神の御託宣を受けた場所です。特にエジプトからイスラエルびとをつれて脱出した後に、この山で授かった御託宣が「十戒」として有名です。

 シナイ山はシナイ半島の南部中央に聳える標高2285メ−トルの岩山です。砂漠の真中の山ですから麓から頂上まで、草木一本も目に入らないほどの厳しい自然に晒されたところです。

 「十戒」の映画を初めてみた見た子供の頃から、わたしもここに登れば神の声を聞けるかも知れないと「シナイ山」の名を忘れずにいました。

 半島南部のアブ・ルディスから砂漠の内部に伸びるハイウエ−を進みます。車で三十分ほど走ると峨々たる岩山が見え始め、やがて突然のようにトウモロコシ畑や放し飼いの山羊の群れが出現します。そこがワディ・フェイラ−ンで、モ−ゼが「出エジプト」前後に一時期暮らしたと云われているオアシスです。モ−ゼはここでシナイ山に登れという神の声を聞いたと云われています。

 そこからさらに30分程でセント・カトリ−ナ修道院に着きます。太古に氷河に削られてできたらしい大きなU字谷の中に、縦85メ−トル横76メ−トル高さ15メ−トルの城壁に囲まれた城塞のような修道院です。

 修道院内部にはモ−ゼが見たと云う「燃えているのに燃えつきない柴」があったと伝えられる小さな礼拝堂や、ロ−マ帝国によって処刑され300年もそのまま曝されていた殉教者聖カトリ−ナの遺体を収める棺などがあります。

 ロ−マがキリスト教に改宗したあとも幾度となく異教徒のまっただ中に孤立してきた歴史を物語るように、岩石砂漠の中の修道院には侵しがたい厳しさがありました。

 修道院の一部は一般公開されていて、歴代の修道士たちの遺骨を山のように積み上げた霊安所も覗くことができます。無数の頭蓋骨が収められた棚と対面すると、頭を垂れずにはいられない程の圧迫感を感じます。

 シナイ山巡礼者のために修道院で経営している宿泊所があり、一泊二食千二百円でした。そこに泊まって仮眠して夜中の三時から登り始めます。夜登るのはご来光を見るためと云うこともありますが、昼間は太陽に焼かれてとても登れたものではないのです。

 その晩は満月を3日ほど過ぎた頃でした。まだ充分に大きな月が足下を照らしてくれ、石ころだらけの登山道も安全に登れました。

 ゆっくり登っても3時間ほどで頂上に着きます。頂上で30分ほど待ってご来光を見ました。残念ながらわたしは神に選ばれた人間ではなかったようで、神の声を聞くことはできませんでした。もっともモ−ゼは一人で登ったのに、わたしが登った時は頂上に世界中から来ている巡礼者や観光客が百人ばかりいて賑やかだったせいかも知れません。

 ある巡礼者のグル−プが中国語で賛美歌を歌い始めると、ギリシャ語、フランス語、英語と次々に唱和の輪が広がりました。別の小さなグル−プは聖書を朗読したり、ひとりでご来光に向かって黙想している人もいます。意外なことにイスラム教徒もたくさん登ってきていました。

 太陽が登るにつれて岩肌が少しづつ色を変え、草木のない異様な景色も正しく神の国への入り口のような荘厳さでした。この山の周りの下界では、つい15年前までは人々が殺しあう戦争が続けられ、今でも砂漠には無数の地雷が埋まっています。

 神々はそれを見つめながら何をお考えなのかと、キリスト教徒でないわたしでも考えずにはいられませんでした。

第5話終わり

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