わたしの出エジプト記は1996年2月から7月までの半年間、JICAからエジプトに派遣されて滞在していた時の滞在記を本にしたものです。同年、大分合同新聞に連載されていたものを中心にまとめました。全部で42話です。本をご希望の方には分価1,500円でお分けしています。

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第六話

「洗濯屋と靴磨き」

 エジプトに来て良かったことの一つに、うれしそうな顔をして仕事をする人たちに会えたことがあります。

 わたしのアパ−トの近くの洗濯屋は、ワイシャツ一枚約三十円です。洗濯物は取りに来てもくれますし、出来上がれば配達もしてくれます。

 わたしは仕事の帰りや買い物に出る時、その洗濯屋の前を通ります。それでいつも自分で洗濯物を出し、受け取っていました。そしてその度に、洗濯屋が本当に楽しそうにアイロン駆けをしている姿を見ることができました。あんまりうれしそうに仕事をしているので、用事のない時でも、つい立ち止まって見とれてしまうほどでした。

 靴磨き屋もそうです。靴一足を磨き上げても十円に足らずにしかなりません。それでも彼らは本当に楽しそうに靴を磨きます。

 エジプトではモスクに入る時には靴を脱いで入りますので、ついでに入り口にいる靴磨きに靴を預ける人がたくさんいます。だからモスクの前の靴磨きはどこも大流行りです。

 従って朝から晩まで大忙しですから、手を抜いたり疲れた顔をしそうなものです。ところが彼らは靴を磨くことが人生最大の喜びと云うような顔をして、いつも一生懸命、靴を磨いています。鼻歌交じりに、さもうれしそうに磨いている若い靴磨きもいます。

 客から十円程の価値の薄汚れた紙幣を渡されると、その紙幣にキスをして客へのお礼と神への感謝を忘れません。

 一回百五十円の散髪屋でも同じような光景に出会います。市場でもレストランやお菓子屋の調理場でも、とにかくエジプトの庶民は皆、働くことが楽しくてたまらないと云う顔をして働いています。その姿は見ている人間まで楽しくさせてくれるのです。

 日本では親が子供に勉強させたい時「勉強しなければ、ろくな仕事にありつけないぞ」なんて云います。ひどい母親になると「勉強しないとお父さんのように、苦労ばかりして給料の安い仕事しかできないよ」と云う人もあるくらいです。

 もっとひどいのは農業や漁業の団体の幹部の人が、子供や孫を農業高校や水産高校にやれといわれると本気になって怒ることです。
「俺の息子(孫)は大学にやって、ちゃんとした会社に勤めさせるんだ」と云って、はばからないのです。そうやって自分で自分の仕事を卑しめています。その同じ人物が公の場で、いくら農家の後継者不足を訴え、嫁不足の問題を語っても、事態が好転しないのはむしろ当然の結果でしょう。

 そうして日本では畑で働く人たち、船の上で網を引く人たち、トラックのハンドルを握る人たち、本当に社会に必要な人々は皆、勉強しなかった人やドロップアウトした人にされてしまいました。

 今の若い人は背広を着て、きれいなオフィスですました顔をしていられる人だけがエライ人だと教えられて育ってきたのです。それがそうでないことは住専や銀行の不正融資問題など、新聞記事で明白になりました。

 どんな仕事も必要であり大切です。同時にどんな仕事もそれ自体、働くこと自体が人間に喜びを与えてくれるもののはずです。

 エジプトの靴磨きも洗濯屋も皆、その日暮らしの庶民です。海外にツア−旅行をすることなんて夢にもできないでしょうし、近くの海水浴場に家族と行くことも一年に一度出来るかどうか、かも知れません。

 それでも彼らの楽しそうに仕事をしている姿を見ていると、彼らが大方の日本人に比べて、どれだけ幸せ者かと思わざるを得ませんでした。

 わたしの子供の頃、わたしたち日本人がまだみんな貧しかった頃、日本にもそんな幸せがあったような気がするのですが。いつから我々はそれを忘れてしまったのでしょうか。 

第6話終わり

モスクの入り口に陣取って商売をしている靴磨き

アレキサンドリアの冬の夜の名物「焼き芋屋さん」

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