童話



 

ばあちゃんの贈り物

 別府の町の山奥に山の口という部落があります。ここから湧き出る小狭間川は山の口渓谷と云う広々とした谷になっていて、エノハがたくさんいます。夏になると山の口の子供たちは谷川に潜って、石の下に隠れているエノハを素手で捕まえるのが自慢でした。

 耕吉はまだ、一匹もエノハをつかまえていません。何度も何度も冷たい水に潜るのですが、エノハはすぐに逃げてしまうのです。今日は朝からひとりで谷に来て、唇が紫色になってもまだ、エノハを探して潜っていました。

「何をしているんだい、この子は。今日は十三日だよ。今日からお盆じゃないか。お盆にエノハを取りに来るなんて、殺生だよ」
 突然声がして、耕吉の知らないおばあさんが大岩の上に立っていました。着物をきちんと着た上品なおばあさんです。話し方は乱暴なのですが、おばあさんの顔は優しそうでした。

「お盆にエノハを取っちゃあいけないのかい、ばあちゃん。人の気も知らないで」
耕吉は思わず頬をふくらませて云いました。

「何にも知らないんだね、この子は。見てご覧。ほかには、だあれも来てないだろう」
そう云えば不思議でした。まだ夏休みだし、天気だってとってもいいのに、耕吉のほかには誰も泳ぎに来ていません。耕吉もなんだか心配になりました。

「お前は今度、分教場に来た先生の子供だろう。学校じゃ教えてくれないのかい」
相変わらず優しそうな笑顔で、口だけは憎まれ口を云うおばあさんでした。

「お盆には殺生をするもんじゃないし、第一泳ぎに来るもんじゃないんだよ」
「どうしていけないんだよ。僕は山の口に来たばかりで、まだエノハを一匹もつかまえていないんだ。だから、一生懸命潜っているんじゃないか」
耕吉はますます不満です。

「山の口のほうらい船はね、海から大分川をさかのぼって、小狭間川を伝ってここまで登って来るんだよ。帰る時もここから戻っていくんだ。ちょうどその淵が舟止まりだよ」

「ほうらい船を知らないのかい。ほうらい船は毎年お盆に、亡くなった人の魂をその人の家族のところまで連れてきて、また西方浄土へ連れて帰る船じゃないか」

「ほうらい船が帰る時、魂の数が足りなくなることがあるんだよ。仕方がないから近くにいるものを誰でも連れていってしまう。だからお盆には溺れて死ぬ子がよく出るんだよ」

 耕吉は急に心細くなりました。暗い淵の底には、本当にほうらい船が浮かんでいるように見えてきたのです。

「きょうはばあちゃんが来てやったから、もう安心だ。これからはお盆に泳ぎに来るんじゃないよ」

 おばあさんは相変わらず、優しい顔でにこにこしながら、乱暴に云います。

「それよりもお父さん、お母さんに云っとくれ。お前のうちだけ、お迎え火を焚かないようじゃないか。お迎え火を焚いてくれないと、帰れないじゃないかってね」

 耕吉は急いでうちに帰ると、お父さんに谷で聞いたことを話しました。お母さんも姉ちゃんの奈美もそばに来て、面白そうに話を聞いています。

「ははは、そのおばあさんはきっと、お前が一人で泳いでいるから心配だったんだな。ほうらい船かあ。なつかしいなあ。子供の頃、よく近所のばあちゃんに聞かせてもらったなあ。お盆には海で泳ぐもんじゃないってな」

「でも、お迎え火のことはうっかりだったわね。うちは引っ越してきたばかりだけど、このうちはむかし、部落のおさのうちだったんでしょう。お迎え火は焚いたほうがいいわね」

お母さんは早速お隣まで、お迎え火の焚き方を聞きに行きました。

 分教場の先生は今年から、武田玄信先生と町子先生になりました。耕吉のお父さんとお母さんです。分教場は六年生の奈美や三年生の耕吉を入れて、たったの十一人です。玄信先生が高学年を六人、町子先生が低学年を五人受け持っています。

 耕吉の一家は鎮守様のお社のすぐ下にある、大きな家を借りて住んでいました。部落では一番大きな家だけど、もう七年間もだあれも住んでいなかったのです。分教場の先生で、家族と一緒に山の口に住んでくれるのは玄信先生が初めてでした。

 山の口は自然が美しく、水や空気のきれいなところです。玄信先生は奈美や耕吉をここで育ててやろうと、分教場への転勤を希望したのです。もし家族みんなが、ここを気に入ってくれれば、ずっと分教場の先生でいようと思っていました。

 その晩、耕吉のうちでも、ちゃんとお迎え火が焚かれました。山の口では家族の誰かが亡くなった時、お迎え火がお盆の間中焚かれます。亡くなった家族の魂が帰ってくる時、迷わないようにするためなのです。

 耕吉たちが夕飯を食べ始めたときです。
「やっと、迎え火を焚いてくれたね。やれやれ、これでゆっくり休めるよ」
昼間のおばあさんが、そう云いながら入ってきて、玄信先生の隣に座り込みました。

「あっばあちゃんだ。昼間のばあちゃんだ」

耕吉はそう叫びましたが、ほかのみんなはびっくりして、声も出ません。
 おばあさんだけが平気です。ちょっと近くまで散歩に来て、そのまま知り合いのうちに入ってきたような顔をしています。

「おばあちゃん、どこから来たの。この近くですか。お盆で里帰りですね」
玄信先生が優しく聞きました。部落のどこかのうちのおばあさんが、帰るうちを間違えたのかも知れないと思ったのです。

「何を云ってんだい。この子は。わたしの帰ってくるうちはここだけだよ」
おばあちゃんは平気です。

「とにかく今夜は遅いから、ここで泊まってらっしゃい」
町子先生がそう云うのを聞いて、子供たちは大喜びです。

「ばあちゃんは、僕といっしょに寝るんだ」
「わたしといっしょに寝るの」
結局おばあさんを真中に、耕吉と奈美は三人で寝ることになりました。

 次の日、玄信先生はお隣に行きました。お隣の健六じいさんは今年八十六歳になる部落一番の長老で、耕吉たちの家の大家さんです。

「そんな上品なばあさんは、今はここにはいねえな。七年前まではいたんだが」
と云いかけて、急に黙り込んでしまいました。しばらく考えていましたが
「とにかく、あとでわしが行って見てやる」

健六じいさんが来た時、おばあさんはちょうど子供たちと鎮守様のお社の階段を降りて来るところでした。
 健六じいさんはおばあさんを一目見ると、腰を抜かさんばかりに驚きました。おばあさんはにっこりと笑いかけながら、右手の人差指を自分の口の前に立てました。
健六じいさんは小さく頭をさげて三人を見送ると、何にも云わずに帰っていきました。

 玄信先生は今度は東山にある駐在所に、迷子のおばあさんの届けがないかどうか聞きに行きました。駐在所で探している間、おばあさんは耕吉のうちに泊まることになりました。
 昼間は耕吉や奈美をつれて、部落のあちこちを案内してくれるし、夜は一緒に寝ながら昔話をしてくれます。鎮守様の森のタヌキと猪ノ瀬戸のキツネが喧嘩したとか、由布川峡谷のカッパが山の口に来ていたずらしたとか、おばあさんの話はとても面白いので、子供たちは毎晩遅くまで眠れませんでした。

「もうきょうは十六日だよ。速いもんだね。今夜は送り火を焚くんだよ。それからやせうまを作ってくれなきゃね」

 家族は云われる通りに、みんなでやせうまを作ってあげることにしました。でも粉をこねたり、やせうまに伸ばしたりするのは、おばあさんが一番上手なのです。お母さんに
「お前さんは、学校の先生で忙しいんだろうけど、やせうまもうまく作れないようじゃ、田舎じゃ暮らしていけないよ」
と相変わらず憎まれ口を叩いています。
それでもおばあさんの顔はとても楽しそうでした。

 夜になって送り火をみんなで焚いて、
「さあ、やせうまを食べましょう」と座った時には、おばあさんの姿は見えなくなっていました。
不思議なことにおばあさんのお皿のやせうまだけはなくなっていました。

 家族みんなで辺りを探したのですが、とうとうその晩おばあさんを見つけることはできませんでした。

 次の朝、健六じいさんが訪ねてきました。
「やっぱり、昨日帰っていったんじゃな」
そう云いながら、ポケットから古い写真をだして、みんなに見せました。

「これは七年前に死んだ、わしのいとこの写真じゃ。
わしより十も年上の姉さんで、長いこと、この家にたったひとりで住んでいたんじゃ」

 見せられた写真は、あのおばあさんのものでした。不思議なことに耕吉もほかのみんなも、その話を聞いて少しも恐いとは思いませんでした。

「夕べ、わしの家にも寄っていった。くれぐれもお礼を云っておいてくれと頼んでいった」
健六じいさんは涙をこぼしながら話します。

「先生たちはこの部落にずっといてくれるじゃろ。この家を先生たちにやってくれんかと云っとった。お盆に泊めてくれたお礼じゃそうじゃ。よっぽど、みんなといっしょで楽しかったんじゃろう」

「こんなぼろの家じゃけど。ばあちゃんの贈り物じゃ。もらってやっておくれ」

 お父さんとお母さんは顔を見合わせてうなずいていました。
耕吉は奈美と手を取り合って喜びました。
そして来年のお盆にはまた、おばあちゃんの為に、きっと忘れずにお迎え火を焚こうと決心していました。

おわり

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