童話



 
海の底からの回覧板

井手口良一

 あの灯台のある水ノ子島を知っていますか。そこを廻って沖へ出ると、豊後水道は急に
深くなっていて腕自慢の鶴見や蒲江の漁師達でさえも海の底がどうなっているのか知りま
せん。むかしは大入島や大島では、水ノ子島の見える浜にウミガメ達がたくさん卵を産み
に上がってきていました。そしてそのウミガメ達はその深い海の底からやってきて又そこへ
戻っていくらしく、水ノ子島を廻るとウミガメを見た者は誰もいませんでした。

‥‥‥‥その海の底の一番深いところに、乙姫様のお館があります。ある日、館の番人
をしているタツノオトシゴが珊瑚に尻尾を絡めて叫びました。

「乙姫様、大変じゃぁ。ウミガメん長老(おさ)が腹を押えてうなっちょる」

 乙姫様が出てみますと、大小様々のサカナ達、カニやエビ達、それにタコやナマコまで心
配そうに集まっていて、その中で長老は前のヒレで腹を押えて、うんうんうなっていました。
このウミガメの長老はもう千年以上も生きてきた大きなアオウミガメで、ウミガメ達だけでな
く、乙姫様からもサカナ達からも信頼され、愛されていたそうです。

「どうしたのです」

 思わず駆け寄って乙姫様が声をかけると、ウミガメは苦しそうに、

「解かりません。もう何日もなあんもたべちょらん。お腹が少しも減らんのじゃ。体が弱ってふ
らふらになるし、何か食べんと悪かろうと思いますんじゃが、お腹が喉んところまでいっぱい
になっちょっち、苦しゅうて、苦しゅうて何も口に入らんのです」

 海の中のことだから廻りのみんなには見えなかったけれど、長老が涙を流しているのが乙
姫様だけには見えました。
乙姫様はすぐにホンソメワケベラを呼びました。

「お前、ちょっと爺(じい)のお腹に入って、どうしたことか見てきてくれますか」

 黒と青色の縦縞のある細長い体のホンソメワケベラはすぐに、あ−んと大きな口を開けた
ウミガメの長老のお腹に入っていきました。このサカナは他のサカナや亀達の口の中やえら
の中に入り込んで、虫歯や寄生虫をとってくれるお医者さんです。乱暴者のウツボやくいしん
ぼのクエでさえ、この小さなサカナを食べてしまったりすることはありません。

 しばらくするとホンソメワケベラが出てきました。そして

「長老んお腹の中にゃビニル袋やポリ袋がいっぱい詰っちょる」と言いました。

「お前、どうしてビニル袋なんぞ食べてしまったのです」

 しかし、ウミガメの長老は廻りのサカナ達に

「ビニル袋ちゃあ何じゃ。そげなもんは知らんぞ」と逆に聞くのです。

 乙姫様は思い当たることがあったらしく、悲しそうな顔をしながら今度は

「近頃は何を食べていましたか」と聞きました。

「それが乙姫様、最近は砂浜んそばに行けばなんぼでん海藻があっち、わしはそれんじょう食
べちょりました。時々は黒いコンブやら青いワカメなんぞも流れちょって、それも食べたんですが」
と長老は苦しそうに答えるのです。

 乙姫様はもっと悲しそうな顔になりました。サカナ達もすぐに長老のお腹の病気の原因が解か
ったようでした。ウミガメには食べ物の味が判りません。形や歯触りが似ていれば、それでもう
食べ物と思ってしまうのです。長老が海藻と思って食べたのはレジ袋です。コンブやワカメと思っ
たのも色の付いたビニル袋やポリ袋だったのです。

 ビニル袋やポリ袋はウミガメのお腹の中に入っても消化してはくれません。それでもウミガメは次々に食べたので、お腹に袋がぎっしり詰まってしまい、もうこれ以上は何も入らなくなってしまったというわけです。

 ホンソメワケベラがもう一度お腹に入って、ビニル袋をひっぱり出そうとしましたけれど、いくら
ひっぱってもビニルの固まりはびくともしませんでした。

 乙姫様は何とか長老を助けようと考えましたけれど、今となってはどうしてやることも出来ません。
長老は何日も苦しみながら段々に弱ってしまい、そしてみんなに見取られながらとうとう死んでし
まいました。

 海の底の生き物達は一人々々長老とお別れをして、みんなで珊瑚の下に埋めてやることにしま
した。その悲しい長老のお葬式の日、みんなの前でまずクエが言いだしました。

「今度という今度は我慢ができん。長老が死んでしもうたのは、人間がなんでんかんでんワシどうん
海に捨つるからじゃ。ワシん友達は銀色に光っちょるもんを餌と間違えて飲込んだんじゃ。そしたら
それが人間の捨てたジュ−スん缶のフタを開けるプルトップちゅうもんだったらしい。腹ん中をあっち
こっち切っちのう、痛い々々といいながら死んじしもうた 

「俺ん話しも聞いちくりい。釣りに使う透明ん糸を人間がようけ捨てちょったんじゃ。俺どうには海ん
中でそれがよう見えん。知らんで歩きよったら、それがからまっちしもうち、取れんごとなっちのう。見
ちくれ俺んこん体を」

今度はタコがそう言いました。足の一本が切れてしまって、切り株のような傷になっていました。よく
見ると大きな頭にも線を引いたような切傷が縦横斜めについていました。

 いつもはおとなしいマンボウまでが涙声で額の大きなタンコブを見せながら

「こんタンコブはのう。ワシが昼寝をしちょる時に人間の立って乗っちょるおかしな船がのう、それが小
せいのに速えんじゃ。あっという間にぶつかっちしもうた。あんまり痛とうて痛とうて、前ん満月からこん
だん満月まで寝たまんま起きられんじゃった」
と言うのです。

 その小さな速い船とは最近人間達が乗り始めたジェットスキ−というもののようでした。マンボウが言
い終わるとカマスもキスもホゴもメバルもみんなが一斉に文句を言い始めました。

「それんこれんみんな人間が悪りいんじゃ。人間が何でも海に捨つるけん、こげんことが起こるんじゃ 

「人間だって海が無からな生きてゆかれんのに、なして人間達は海を汚すんじゃろう」 

「人間がワシ等を採って喰うたち、ワシたちゃ、一度だって文句をゆうたこたあありゃせん。龍王様がそ
れを決められたことじゃからじゃ」

「龍王様はゆうちょった。ワシ等は人間に喰われてん、人間の体ん中で生きてゆくんじゃと。そんなら、
ワシ等が傷ついたり、弱ったり、汚れたりしたら、人間だって弱ったり、汚れたりする。困るはずじゃが
のう」

「そうじゃ、みんなで龍王様んところへいっち、龍王様に頼もうや。ちっと人間どうをこらしめちくれち」

「そうじゃ、そうじゃ」
長老を失った悲しみと、日頃の怒りが重なって、みんなが口々にこう叫びました。

 すると乙姫様が慌ててみんなをなだめるように言うのです。
「それはいけません。お父様にそんなことを頼んだら、また恐ろしいことになります。たくさんの人間達が
死んでしまいます。お前達の大好きな人間の子供達も死んでしまうかも知れませんよ」

 みんなは恐ろしさで思わずぶるぶると震えてしまいました。死んだウミガメの長老がよく話していた瓜生
島のことを思い出したからです。

 ほんの些細なことで龍王様がお怒りになって、その島を沈めてしまったのです。もし、かわいがっていた
ウミガメの長老が人間の捨てたゴミのせいで死んだと判ったら、今度はどんなに恐ろしいことが起こるか
判りません。

「だけんど乙姫様、このまんまじゃ海は汚れてしまうばかりじゃし、俺達もいつ、人間達の捨つるゴミのせい
で死んじしまうかもわかりません。俺たちゃ人間に喰われるんは、かんまんけど、ゴミや汚れん為に死にと
うはありませんよ」

賢いイシダイがきれいな体をくねらせながら、言いました。

「それに、こんまんまじゃ、じきに龍王様に人間んしちょることが分っちしまう。いや、もう分っちょっち、こらえ
ちょるんかもしれん。人間が自分で気がついち、自分で直すんを待っちょんのかもしれん」

マダイがそう言いました。

「そうじゃ、それでん人間どうが気がつかんかったら、今度は島一つぐらいじゃすまんど。昔々には龍王様は
大きな陸地を一つ沈めちしまったことだってあったっち、長老は言いよったけんのう」

こんどはヒラメが言いました。

「そりゃこまる。いくら人間どうがわがままでん、殺してしまうんはむげねえわい。何とか人間どうにこんことを
知らせて、海を大事にしちくるるよう頼めんもんかのう」

 人間が大好きで、いつも友達を作りたがっているイルカが思案げにつぶやきました。

 乙姫様はしばらく考えていましたが、やがて言いました。
「ではこうしましょう。みんなでお手紙を書いて、人間のところへ送るのです。海にゴミを捨てないで、海を汚さ
ないでと書いて送るんです。そう。誰が書いてもいいんですよ。お手紙を書いて、タツノオトシゴのお腹の郵便
袋の中に入れてくれたら、わたくしが人間のところへ送ります」

「それはいい。俺はいっぱい書くぞ」
イルカは喜んでそう叫びました。
ほかのみんなも、うれしそうにうなずきました。

 やがて日がたつにつれ、タツノオトシゴの門番が、お腹が重くて悲鳴を上げるほど手紙が海の生き物達から
届けられました。

‥‥‥それからと言うもの、人間たちのうちに廻ってくる回覧板のどこかに、必ず海の底からの手紙が載る
ようになりました。

「海を汚さないでください」マダコより

「ゴミを捨てないでください」イルカより

それは海の生き物達が送ってくれる伝言なのです。そうです。あの可哀想なウミガメの長老のようなことが、もう
起こらないようにと祈りを込めて。

さあ君たちも今度回覧板がおうちに来たらよく見てご覧。きっと‥‥‥‥