童話



  セミん木になった筑紫ん法師 

(1)

 昔、豊後ん国ん松岡ちゅう里に、ひとりん法師がやっちきた。法師は里んはずれん、荒れ寺が気に入ったらしく、そんまま里に住み着いちしもうた。

見知らぬ人間が住み着いたんじゃが、里ん衆は法師が住み着いちくれたちゅうんで、そりゃあえらく喜んだ。松岡ん里には長げえ間、お経を読んじくるるもんがおらんかったんじゃ。

男たちはお堂や庫裏の修理を手伝ったり、庭の手入れをしたり、女たちは法師の食べ物を運び込んだりした。おかげで荒れ寺は見る見るきれいになっちいった。

 法師ん名前は「筑紫ん法師」
本当ん名前はしらんかった。法師が筑紫ん国から来たちゅううんで、そう呼ぶことにしたんじゃ。

 法師は子供が大好きじゃった。寺に子供を集めて、字を教えたり、一緒に遊んだりしちくるる。里ん衆はますます喜んだちゅう。

 法師は里ん衆や子供ドウだけじゃねえ、犬でん猫でん、カラスでんスズメでん、生きとし生けるものは何でん大事にした。そん上、まるで人間と話しをしているように話もする。それこそバッタとでんミミズとでん夏虫とでん、話をするんじゃと。

 夏虫とはセミんことじゃ。 そん頃ん豊後ん国んセミは、「ジージー」とか「ドードー」とか「チーチー」とか手前勝手にうるさく鳴いてちょったそうじゃ。夏になるとどこからともなくやってきて、うるさく鳴き散らすセミんことを、松岡ん里ん衆は、ただ夏虫と呼んでおったちゅう。

 ある年、突然、お城から役人ドウがやっちきち、里ん真ん中に高札を立てた。役人どうがゆうことには「今年から年貢を上げる。年貢は米だけとは限らぬ。米が無ければ、ほかのもので納めてもよし。山からは薪が出るじゃろう。松岡ん山から薪をもって出るものは、一荷につき、ひと束の薪を差し出すがよい」
「田の肥やしにする枯れ葉や、牛馬の餌にする草も出るじゃろう。枯れ葉は一荷につき、一かます、草はやはり一荷につき、ひと束ということにする。よいな」

「年貢は皆、精一杯収めちおります。これ以上はご勘弁下さい。山は里ん衆みんなんもんです。薪を一度に一荷ももって出るもんはおりません。薪は一度に肩に担げるだけん量と、里では決まっております」
「枯れ葉や草も里では皆、自分の背中に背負えるだけの量しか、もって下りんのです」

 里ん長(おさ)は驚いち、必死になって頼み込んだが役人どうは聞いてくれんかった。
「けしからん。けしからん。年貢は払えぬ。薪も出せぬというなら。いっそ山を年貢の変わりに差し出せ」

 里人は仕方なく山を差し出すことにした。薪は川原で拾えばなんとかなる。肥やしにする枯れ葉や草も、レンゲを植えたり豆粕を使えば、かわりになると考えたんじゃ。

 それを筑紫ん法師が子供らから聞いた。法師はすぐさま里人を集めてこうゆうた。
「山を差し出してはいかん。松岡ん山には仏様がおられる。おまえたちは山ん仏様に守られておるんじゃ」
「山をとられては里はすぐに暮らしていけんようになる。今ならまだ間に合う。山を差し出すんはやめるんじゃ」

 しかし、こんときばかりは、誰も法師のゆうことを聞かんかった。

「今でさえ年貢を払うのは大変じゃ。これ以上、米一粒たりとも払えるものか」
「山などいらぬ。山が無くても里は暮らしていけるわい」
「法師様はわしらん暮らしよりも、タヌキやカラスん方が大事じゃといわっしゃるんじゃ」 

里人は口々におらびまわす。
とうとう
「法師様はよそもんじゃけ」などといいだすものも出た。法師もあきらめるしかなかった。

そん年ん雪が降り始める頃、山はお城ん殿様んもんになっちしもうた。

 春が来た。里でたんぼにレンゲん花が咲き始めた頃、突然、城から大勢ん人足が来て、松岡ん山ん木という木を切り倒し始めた。別ん人足どうは、山を切り起こし、谷を埋めて、地をならし始めた。

 里人があれよあれよという間に、山は赤い地肌をさらし、山の生きものたちは命からがら里へ逃げてきた。お城では松岡ん山を切り開いて、さむらいドウが馬乗りん練習をする、お馬場を作ることにしたちゅう。

 府内んお殿様はとうてん馬が好きな殿様じゃった。来年は西国ん殿様ちゅう殿様に声を掛けち、大きな馬比べをしたいと云いだしたんじゃ。

 法師はなんべんも府内のお城に出かけては、山の木を切らんように願い出た。しかし役人どうはとりおうちくれん。しまいには腹を立てちしまい、法師はお城どころか府内ん城下にさえも、入ってはならぬということになった。今度、法師が城へ近づいたら、牢屋に入れてしまうというんじゃ。

(2)

 そん年、里には異変が続いた。まず松岡ん里ん泉という泉が枯れた。里ん衆は遠くまで水を汲みに行かなくてはならんようになった。

 次にはマヘビが増えて増えて、馬が咬まれて死ぬ。犬が咬まれて死ぬ。あぜで里ん衆が何人も咬まれて、命を落としたり、不自由な体になったりもした。

 そん上、今度は田圃ん稲が虫に食われた。葉が喰われ、穂が喰われして、稲ん花が咲くはずん頃には、里じゅうん田圃が、裸同然になっちしもうた。

 泉が枯れたんは山ん木がのうなっち、山が地下ん水を貯めることができんようになったからじゃそうな。マヘビが増えたんは山に住めんようになったマヘビが、里に下りてきたからじゃ。

稲を喰う虫が増えたんも、山の木がのうなって、虫を食ってくれていた小鳥が、皆よそへいっちしもうたからじゃった。

 法師は里ん衆ん苦しみに、いてもたってもおられん。何ん出来ん自分を呪いながら、たまらず松岡ん山に登っち見た。山は見るも無惨に丸裸にされちょった。見渡すばかりん広い広い荒れ地が目に入るだけじゃった。法師はただ呆然と立ち尽くしちょった。

(3)

 すると、はじめは一匹ん夏虫が、飛んできて法師んからだにとまった。それから夏虫はどんどん飛んできた。しまいには数えきれんほどん夏虫が飛んできては法師にとまるんじゃ。法師にとまっては、まるで木にとまったつもりでもいるように、鳴き始めた。

夏虫は何年も何年も土ん中で育つ。こん夏虫だちが生まれてすぐに土にもぐった頃には、松岡ん山は鬱蒼(うっそう)とした木々に覆(おお)われちょった。長い暗い土ん中ん暮らしを終えて、やっと明るい地上へでてきたら、木がなかった。生まれて土にもぐる前に見た木を、夏虫だちはさがしちょったんじゃ。

そこに法師が登って来て、じっと立ち尽くしていたもんじゃから、法師を木とまちがっちしもうたらしい。法師は夏虫だちがむげねじしょうがなかった。長い間、ただ涙を流して立ち尽くしちょった。夏虫はますます大きな声で鳴いていた。

 そん晩、法師は決心した。山を下り、一晩中かけて寺をきれいにし、自分の身の回りんもんも片づけた。そして明くる朝には、もう一度山に登っちいった。

里ん衆は誰あれん、そんことに気づいた者(もん)はおらんかった。

法師は、きのう自分が立ち尽くしちょった場所に、しっかりと太い杭を立て、そん杭に自分をぐるぐる巻に縛り付けた。山ん夏虫だちは、昨日にもまして、ようけ集まり法師にとまった。あんまり多くん夏虫がとまったんで、法師ん姿はすっかり、夏虫だちに包まれちしもうた。やがて法師ん姿はまるで、夏虫だけでできた柱んようになった。それでん法師は、ただ静かに、お経を詠んでいるだけじゃった。

 里ん衆が法師んおらんようになったことに気がついたんは、それから何日もたったあとじゃった。里ん衆、皆が集まって探したが、誰あれん法師ん姿を見たもんがおらん。里長(さとおさ)がお城までいって尋ねちみたが、お城ん役人ドウも知らんちゅう。寺はきれいに掃除されちょるし、法師ん持ち物も片付けられちょる。

「突然によそから来た男じゃ。俺ドウが、やまを手放したんが気に入らんで、また出ち行ったんじゃろう」

里ん衆は皆、そう思いあきらめ始めていた。

(4)

 そんな、ある日、里ん衆は

「ツクシンホウシ、ツクシンホウシ」と呼ぶ声を聞いた。

そん声は山から聞こえち来る。里ん衆は皆で山に登っちいった。

するとどうじゃろう。お馬場をつくるために、根こそぎ切り払われて、丸裸になったはずん、お山んてっぺんに、ちょうど人ん高さほどん松ん木が一本生えちょる。
松ん木にはぎっしりと夏虫がとまって

「ツクシンホウシ、ツクシンホウシ」
と鳴いている。

 そん声が周りん山にも響きわたるほどで、里ん衆は驚くばかりじゃった。

 松ん木は法師自身が姿を変えたもんじゃった。法師はとまる木を取り上げられた夏虫をむげねえと思うあまり、仏様に頼んで、自分ん身体(からだ)を木に変えて、夏虫にやったんじゃ。

 話を聞きつけち、城からやっちきた役人が、そん松ん木を切ろうとしたが、不思議なことに、どげえしてみてん、松ん木に斧ん刃を打ち込むことができんかった。

 それどころか、松ん木は見る見る大きう育っち、松岡ん山を覆(おお)い尽くしちしもうた。役人ドウは気味悪がっち、お馬場をつくる話も、いつんまにか立ち消えになったちゅう。

 山は筑紫ん法師が姿を変えた、あん大松を中心に、また以前のように草が生え、雑木が育つようになった。松岡ん里ん泉もまた、元んように湧き出るようになった。マヘビは山にもどっちいったし、小鳥ドウも戻っちきち、田圃ん虫を食べちくれるようになった。

それからまた何年も何十年も何百年もたった。
里ん衆は筑紫ん法師ん名前も、そんな法師がおったことさえも忘れちしもうた。

しかし、筑紫ん法師ん姿が消えた、あん年から、ずうっと、
豊後ん夏虫は
「ツクシンホウシ、ツクシンホウシ」と鳴くようになったそうじゃ。

 今でんセミが
「ツクシンホウシ、ツクシンホウシ」
と鳴くんは、 セミたちが筑紫ん法師んことを忘れんためなんじゃと