童話



サルとサンショウウオと両群橋 その二

 そん次ん日ん朝、里ん衆(し)だちは鳴川に立派な橋が掛かっちょるのを見つけた。橋は大木を切り倒して鳴川に渡したらしく、一本の太い木で出来ちょった。上側は人が歩き易いように、平らに削ってあったが、もうずうっと昔から、そこにあったもののように、土の色をしており、一面に苔さえ生えちょった。

 里ん衆(し)だちはびっくりはしたものの、すぐに郡代役場に知らせに行った。郡代は喜んで大勢の手下に斧や鉈だけでなく、弓矢や槍を持たせて、赤松ん里へやっちきた。里ん長(おさ)はその弓矢や槍を見て、やはり郡代はサルだちを殺すつもりだとわかったが、もうどうすることも出来なかった。

「皆の者、猿酒を見つけた者には褒美(ほうび)をやるぞ。橋を渡って崖(がけ)に登り、木と云う木を切り倒して落とすのじゃ。猿酒はサルのねぐらの木に隠してあるはずじゃぞ。サルが邪魔(じゃま)をするようなら、射(い)殺すなり突き殺すなりしてかまわん。かかれッ」

 郡代がそう叫(おら)ぶんを合図に、手下共(どう)が橋を渡りはじめた。そして最後に郡代が橋を渡ろうとしたちょうどその時、空が急に真っ暗になり、雷が恐ろしい響きで鳴り渡った。そして一寸先も見えん程の大雨になった。鳴川ん水かさはあっとゆうまに増えて、両側の大岩やら土砂やらを呑み込んでふくれあがった。里ん衆(し)だちは大あわてで逃げ出したが、橋ん上ん郡代と手下どうは足が滑って、前にも後ろにも逃げることができんじゃった。するとどうじゃろう。今まで何ともなかった橋が、グラリとひと揺れして、郡代と手下どうを乗せたまんま鳴川に落ちてしまった。

橋が落ちると、まるでそれが合図のように、今までん雨が嘘んように止(や)んぢしまった。やがて又、もとん青空が見え、川に光が差し込んだ。里ん衆(し)が驚き騒いで、鳴川をのぞき込むと、郡代だちを振り落とした橋が、オオサンショウウオの姿に戻るところじゃった。橋はオオサンショウウオが化けていたんじゃ。

 驚きが収まった里んしだちは、何とか郡代だちを助けたくて、鳴川に下りようとしたが、大雨ん後ん暴れ河ん鳴川に、落ちたんじゃから郡代も手下共(どう)も助からんかった。皆溺れて別府湾にまでも、流されてしまったそうじゃ。

 大水が去ると、オオサンショウウオの姿も、見えんようになった。里ん衆(し)だちは、泉ん主が赤松ん里とサルたちを救ってくれるために、出てきてくれたんじゃと思った。しかし、いくら欲張りで意地の悪い郡代だちとは云え、人間の命がようけ失われたことが哀しかった。一度怒ったら人間をも、いとも簡単に殺してしまう、泉ん主が恐ろしゅうなった。里じゅうで相談して、鳴川ん見下ろせる、あの六地蔵ん脇(ねき)に、新たに石仏(いしぼとけ)を建てち、郡代だちん冥福を祈り、泉には主を祭る祠(ほこら)を建てて、米や甘酒をお供(そな)えしたそうじゃ。

 暑い夏が来ち、赤松ん里んたんぼん稲に花が咲いた。その日、豊後ん国司(くにつかさ)ん行列が、国中ん巡視んために、銭亀峠を越えち下りちきた。赤松ん里ん入口までくると、真新しい石仏(いしぼとけ)があるのに、国司(くにつかさ)は気が付いた。しばらく行列を進めると、今度は泉んある沼んほとりに、真新しい祠(ほこら)が出来ちょる。国司(くにたかさ)はどうしたことかと思い、祠(ほこら)ん脇(ねき)に土下座をしちょる、里ん長(おさ)に聞いた。里ん長は、正直に起こったことを、なんもかも国司(くにつかさ)に話したんじゃ。

「それは里の皆に難儀(なんぎ)をかけたな。意地悪をした郡代どものために、わざわざ石仏(いしぼとけ)を建ててくれたとは、ご苦労であった。それにしても不思議なことじゃ。わしも鳴川がどうなっておるか見てみたいぞ」。

 国司(くにつかさ)はそう云って里ん長を案内に、鳴川を河口ん荒磯(ありそ)まで下りてみた。暴れ河とは云え、そんな恐ろしいことがあったとは信じられない様子じゃった。今となっては名のとおりゴウゴウと、川ん水が鳴りながら流れておるだけじゃった。ただ、ちょうど川が海に流れ込む、出口んすぐ上んところには、あん時に流され出た大岩が、鳴川を渡るための飛び石を置いたようになって並んでおった。

 国司(くにつかさ)はそれを見ると、里ん長にこうゆうた。

「これはよい。この大岩と大岩の間に木を渡せば、橋ができようぞ。ここならサルどものねぐらにも遠いし、橋が出来れば大分郡と(ごおり)速見郡(ごおり)の行き来は楽になる。里長(さとおさ)、今年の年貢は米の代りに、ここに橋を掛けてくれんか」

 里ん長にも異存はなかった。

「毎年、銭亀峠に雪ん積もる頃になりますと、大勢ん衆が難儀しておりました。ここに橋が掛かりますと皆が喜びます。有り難うございます」

 秋になって、稲刈りも終り、いよいよ橋を掛けることになると、猿だちもやってきて手伝うてくれた。橋ん根駄(ねだ)ん木を結ぶんに使う、アカグチカズラん葉を落としてくれたり、大岩ん間を跳んで綱を渡してくれたり、おかげで仕事はどんどんはかどった。

こうして橋は、雪の振り出す前に立派に出来上がった。国司(くにつかさ)は知らせを聞くと大喜びでやってきた。

「いやいや早く出来上がったものじゃ。なんと立派な橋じゃ。これで今年の冬から、寒い銭亀峠を越さずともよくなる。皆頑張ってくれたのう。年貢は収めぬとも良いのは約束道理じゃが、何か別に褒美(ほうび)をやろう」

「何、サルどもが手伝うたと云うか。それならサルどもにも褒美(ほうび)をやらねばなるまい。そうじゃこれより以後、豊後の国の掟(おきて)として、高崎山のサルはいじめたり殺したりしてはならぬこととしよう。冬の間の餌も、国の倉よりつかわす。どうじゃ里長(さとおさ)、それでよいな。」

 里ん長はじめ里ん衆(し)はたいそう喜んで、何度も何度も頭を下げた。心配そうに山から見下ろしていたサルだちも、これを聞いて大喜びで、木を揺すり、声を上げたそうな。

「そうじゃ、この橋にも名がいるな。速見郡(ごおり)の赤松の里人と、大分郡(ごおり)の高崎山のサルとが、力を合わせて掛けた橋じゃ。二つのこおり、二つの郡をつなぐ橋じゃ。この橋を両郡橋と名付けるぞ」

 こうして、鳴川の河口に掛けられた橋は、両郡橋と呼ばれるようになったんじゃ。両郡橋は人々の往来におおいに役立ったちゅう。

 それからとゆうもの、この国の人だちは誰(だあれ)もサルをいじめんようになった。サルだちは安心して、高崎山ん崖を下りて、磯に遊んだり、両郡橋を渡って行きかう、旅人や里人に餌をねだるようになった。時々は悪さもするが、サルだちと里んしだちは、それからも助け合いながら、仲良う暮らしたそうじゃ。

 泉ん主んオオサンショウウオも、あれから一度も姿を見せることはなく、次ぎの年も、その次ぎの年も、ずうっと赤松ん里んたんぼでは、サンショウウオが育ち、おかげでいつまでも、速見郡(はやみごおり)で一番、ようけ米がとれ続けたそうじゃ。

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