「おや、なんだこの変なにおいは」
「かんやビンがたくさん捨ててあるぞ。ポリタンクもある。」
「こりゃあ、ひどい。鼻も目も痛くなる。気をつけろ。体に毒かもしれないぞ」
大平山はおおぎを開いたような形のきれいな山で、頂上近くまで草原が続くやさしい山です。ある年の春、もうすぐ野焼きが始まるというころ、大平山に登る道の入り口には、ひどいにおいがしていました。
それから少し日がたち、野焼きも無事に終わって、暖かい雨がやさしく降りました。あのひどいにおいのするごみはきれいに片付けられていました。ところが、その場所にはいまだに草も生えていません。黒いふかふかした土からは、雨上がりの水蒸気がふわふわと上がっているだけでした。その静かな静かな土が少しだけ動いたと思うと、小さな小さな虫が一匹出てきました。
カネタタキの赤ちゃんでした。前の年には、たくさんのカネタタキがこの場所にたまごを産んでいたのですが、あのひどいにおいのしたごみのせいでみんな死んでしまったのです。無事に生まれることのできたのは、このカネタタキ一匹だけでした。
つばめが南の国から帰ってきて、大平山の周りを低く高く飛ぶようになりました。カネタタキは何度か脱皮をくり返して、少しずつ大人の体になります。ところがこのひとりぼっちのカネタタキのはねは、少しも伸びてくれません。よれよれで短いままなのです。
もともとカネタタキの体はコオロギの仲間では一番小さくて、はねもまるでチョッキのような短いものでした。その短いはねでもカネタタキのオスたちは
「カンカン、カンカン」
と大きな声で鳴くのです。仲間たちの声はあたり一面で聞こえていました。
かわいそうなカネタタキは、はねがよれよれで小さな声しか出せません。友だちになってもらおうと仲間を訪ねても、よれよれはねのカネタタキの声は、すぐそばでも耳をすまさないと聞こえないので、だあれも相手にしてくれません。このままではおよめさんも見つかりそうにありませんでした。
大平山の草原で、いろんな虫の声が聞こえるようになりました。よれよれはねのカネタタキだけが仲間はずれのまま、かすかなかすかな声で鳴いていました。
「なんだ、お前のその声は。もっとしっかり声を出さんか」
コオロギの仲間では一番大きい、エンマコオロギのおじさんが大きな声で言いました。
「えっ、何ですって」
いじわるなスズムシのお姉さんは、わざと前足の耳を近づけて、聞こえないふりをします。
「お前なんか、みっともなくてカネタタキの仲間なんて言えやしない」
カネタタキたちも口をそろえて言いました。
かわいそうなよれよれはねのカネタタキは、とうとう、草原に住むことをあきらめて旅に出る事にしました。
どのくらい歩いたことでしょう。ある良く晴れた、その割には涼しい日でした。そこはふかふかの青いこけのじゅうたんと、サルオガセのカーテンがあって、まるで誰かのおうちのようです。
初めにスティールかんを見つけました。
「やあ、おじさん、よい天気ですね。ぼくを仲間に入れてくれますか」
とカネタタキはていねいにおじぎをしました。
その次には口のところが割れている茶色のビンを見つけました。
「あなたはけがをしていますね。ぼくといっしょだ。ぼくはね、生まれた時からこんなにはねがよれよれで、誰にも相手にしてもらえないんです。失礼ですがあなたは、ぼくとお友だちになってくれますか」
カネタタキはそう言いながらやさしくビンをなでてあげました。
そして最後にアルミかんを見つけました。
「やあ、すてきなお部屋ですね。どうですわたしに住まわせていただけませんか。ちゃんといつでもきれいにしておきますから」
アルミかんの口から中をのぞきこみながら、そう言いました。アルミかんはそれはそれはうれしそうでした。
その夜、きれいなお月様が出ました。よれよれはねのカネタタキは自分のよれよれはねのことを忘れて鳴きはじめました。するとどうでしょう。いままで感じたこともないほどの大きな音がひびくのです。
よれよれはねのカネタタキはおどろくやら喜ぶやら、
「ありがとう、ありがとう。あなたですね。ぼくの声をひびかせてくれているのですね。よれよれのぼくにはこんな大きな声は初めてだ。草原のみんなに聞かせてやりたいくらいですよ」
アルミかんに何度も何度も礼を云いながら、はりきって鳴き続けました。正直に言えば、アルミかんには少しうるさかったのだけど、カネタタキがあんまりうれしそうだったので、がまんしていました。
カネタタキの大きな声にひかれて、草原の方から、かわいらしいお嫁さんがやってきました。
カネタタキはますますはりきって
「カンカン、カンカン」
と鳴き、アルミかんの体がピリピリとふるえるほどでした。
山の木々の葉はまだまだ青いのだけど、どこからか時々、涼しい風が吹いてくるようになりました。
カネタタキはたまごを産むための、日当たりが良い、土のやわらかそうな場所を探さなくてはなりません。よれよれはねのカネタタキはお嫁さんといっしょに草原の方に行き、ふたりでたまごを産む場所探しました。
お日様が少しずつ南へかたむき、陽のあたらない時間がだんだんに増えてきました。食べ物も少なくなって、今では一日中、何も食べ物を見つけることが出来ない日もありました。このまま食べ物のない日が続くと大変です。カネタタキのお嫁さんはたまごに栄養をあげることができません。せっかく産んでも、たまごは土の中で死んでしまいます。
いよいよ、よれよれはねのカネタタキの決心する日が来たのです。カネタタキはお嫁さんに言いました。
「いいかい。ぼくは少しだけ早く死んでしまうから。きみはぼくの体を食べて、ぼくたちの子どもたちの栄養にしてあげておくれ」
お嫁さんはびっくりして
「どうしてそんなことを言うの。わたしはちゃんとたまごを産んで見せるわ。心配しないで、寒い冬が来るまでがんばりましょうよ」
「ぼくだって、きみがちゃんとたまごを産んでくれる事は知っているよ。でもね、栄養が足らなくては、子どもたちは春が来るまでに死んでしまう。君にはつらいことだけど、カネタタキはみんなそうしてきたんだ。ぼくたちのお父さんやお母さんもね」
「君がぼくを食べてくれれば、ぼくときみはひとつの体になって、いっしょにたまごをうむことができるんだ」
「そうだ。あの親切なアルミかんのことを子ども達に話してやっておくれ。春になったら、そのアルミかんのところに行って、ちゃんとお礼を言って、またみんなで住まわせてもらうんだ」
カネタタキのお嫁さんはよれよれはねのカネタタキの言うことをちゃんと守って、ふたりは一つの体になりました。そしてじょうぶなたまごをたくさん生みました。 そして土の上から、
「お前たちのお父さんとわたしは、境川の谷底の、アルミかんのおかげで出会うことが出来ました。よおくお聞き、春になったらすぐにアルミかんのところへ行って、お父さんやお母さんの代わりにお礼を言っておくれ。お願いですよ」
何度も何度もそう言い聞かせながら、いつの間にか動かなくなりました。そしてその日、はじめて大平山に雪が降りました。
次の年の春、大平山のふもとの陽の当たる草原で、カネタタキの赤ちゃんがたくさん生まれました。あのよれよれはねのカネタタキとお嫁さんの子どもたちです。
「お母さんの言っていたアルミかんのおうちを探しに行こう」
子どもたちはそういいながら、境川の谷の方へ向かいます。あのよれよれはねのカネタタキがくらしていたアルミかんのおうちは、ちゃんとそこにありました。あいかわらずピカピカ光っています。カネタタキの子どもたちは大喜びです。
「ここだここだ、このピカピカのおうちだ」「やあ、こんにちは。ぼくたちカネタタキの兄弟です。」
「生まれてすぐにあなたを探しに来ました」「お父さんとお母さんが、お世話になりました。ぼくたちもあなたのおうちに住まわせてください。」
口々にそう言いました。
アルミかんは、それはそれはうれしそうに、ピカピカ、ピカピカと光り輝いていました。
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