童話



 

 蓬莱船(ほうらいせん)に乗ったサッちゃん

 大野川は大きな川です。犬飼の町に架かる犬飼大橋までは、緑がかった水がゆったりと流れていたり、広く浅い瀬を白く泡立つ水がさらさらと快い音を立てながら流れてきます。
 ところが犬飼の町から大分市に入ると急に速度を上げて、その分、河幅も狭く、両岸が切り立った崖のようです。特に竹中の駅の前あたりでは、強い流れにえぐられて深く深く、水の色は無気味なほど青い色に変わります。

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 「こら−っ」

 泳いでいる子供たちも、岸辺で遊んでいる子供たちもいっせいに振り向きました。

 「盆に川に来たらいけんと、あれほど云って聞かせてあるのに、お前たちはどうして分らんのじゃあ」

 サッちゃんのうちの婆ちゃんです。
 サッちゃんの兄ちゃんや姉ちゃんは慌てて服を抱えて逃げ出しました。

 サッちゃんはいつものように婆ちゃんの言い付けを守って川には行っていません。
 兄ちゃんたちはこっそりと家に帰ってくると

 「サチコ、お前が婆ちゃんに告げ口したんやろ。お前にはなあんもやらんけんの」

 と責めます。

 でもサッちゃんは何も知りませんでした。

 「盆になったら川で泳ぐんじゃないぞ。目には見えんが川には蓬莱船が来ちょる。
 特に十五日の昼からは蓬莱船が帰り支度を始めるんじゃ。川のそばを歩くのも駄目じゃ。
 いいか、川の水の見えるところに行ったらつまらんど」

 いつもは孫たちに優しい婆ちゃんが夏になると、恐い顔をしていつもそう云います。

 サッちゃんは婆ちゃんが誰よりも好きでした。
 小学生になってからも、サッちゃんは婆ちゃんと一緒の蒲団に寝ているほどです。

 次の日の朝、朝ごはんがすむと、婆ちゃんは孫たちを呼びました。
 叱られるのを覚悟して子供たちが婆ちゃんのそばに行くと、婆ちゃんは新聞を広げています。

 そこにはきのう大野川のもっと上流で子供が溺れ、その子は助かったのですが、助けようと川に服のまま飛び込んだ、その子の父親が見つからないと書いてありました。

 「お盆になると蓬莱船が西方浄土から先祖の霊を乗せてやってくる。
 この竹中にもやってくるんじゃ。 
 うちではお前たちがまだ小さかった頃に死んだ爺ちゃんの霊が、
 婆ちゃんに会いに帰ってきてくるる」

 「霊が皆、十六日ん刻限通りに蓬莱船まで帰ってくればいいが、
時々、我が家に未練が残って帰ってこん霊がおる。
 そうすると連れて帰る人数が少のうなって困るもんじゃから、
蓬莱船の船頭は誰でもいい、川に近づくもんを連れていってしまうんじゃ」

 「こん新聞ん子んお父さんも蓬莱船に連れて行かれたんじゃ」

 「婆ちゃんが子供ん頃、婆ちゃんの一番仲の良かった友達の美代ちゃんが、
盆の十六日に川岸で遊んじょって、みんなの見ている前で川に飛び込んでしまった。
 それこそ誰かに呼ばれたように、急に走り出して川に落ちてしもうたそうじゃ」

 兄ちゃんたちは二人ともまたかと云うような顔をしています。
 下を向いたふりをしながら、顔を見合わせて何か合図をしあっているようでした。

 兄ちゃんたちは盆の間も平気で川に遊びに行きます。
 泳ぐだけでなくウナギを釣ったりフナを突いてきたりします。

 「サチコ、婆ちゃんに云うたら小突くけんの。だいたい、お前は婆ちゃん子じゃから信用できん」

 兄ちゃんたちからそう云われて、サッちゃんは婆ちゃんに申し訳なく思いながらも、
いつも兄ちゃんたちのことは黙っていたのです。

 いつもは一緒に遊んでくれる姉ちゃんでさえ、お盆の間は婆ちゃんに隠れて川で遊んでいるようで、婆ちゃんの言いつけを守るサッちゃんだけは誰とも一緒に遊べずに、お盆の間中いつも家で婆ちゃんやお母さんのお盆の支度の手伝いをしたり、宿題をしたりしていました。

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 その次の年、サッちゃんが小学校三年生になった年の夏が来る少し前のことでした。
 サッちゃんたちが学校に行っている時、田圃の稲の草取りをしていて突然、婆ちゃんが田圃の中に倒れこんでしまいました。

 「お婆ちゃんっ。しっかりして。お婆ちゃん」

 必死になって呼びかけるお母さんの声を、婆ちゃんはもう聞いてはいませんでした。
 竹中の町を救急車が走り抜けていきました。
 お父さんが役場から呼び返され、サッちゃんたちも先生の車で学校から病院に連れていかれました。

 婆ちゃんは頭の中の大きな血管が切れてしまったそうです。
 一言も口を聞くこともなく、目を開くこともなく、その日のうちに亡くなってしまいました。

 夏休みが来て子供たちはいつもの年のように大野川で泳ぐようになりました。

 「兄ちゃんたち、盆の間は川で遊んだらわりいんで。死んだ婆ちゃんが心配するで」

 サッちゃんは婆ちゃんの代りになってそういいますが、兄ちゃんたちは聞きません。

 「サチコに婆ちゃんが乗り移ったぞ」

 そんなことを云ってサッちゃんをからかって笑うだけでした。

 お父さんでさえ

 「婆ちゃんの云っていた蓬莱船なんて迷信だけど、盆の頃になると上流で降った大雨の影響で、
 水が増えていたり、水の温度が急に下がったりするんだ。
 川底の様子が変わって、深いところや渦のできるところの場所が変わったりもする。
 海でもそうらしい。盆の頃になると土用波と云って、そこの海岸は晴れて風もないのに、遠くの海に台風が来ていて、突然大きな波が襲ってくることがあるという。
 とにかく気をつけることだな」

 そんなことを云うだけで平気なのです。

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 また一年がたちました。サッちゃんは四年生です。今年のお盆は婆ちゃんの初盆です。サッちゃんの家では八月に入ると大忙しでした。親戚や近所の人が大勢お参りに来てくれたり、毎晩、ご馳走を並べて親戚みんなで食べたりします。姉ちゃんもサッちゃんも毎日お母さんのお手伝いに忙しく働きました。

 「サチコ、夏休みの宿題のスケッチはもうできたかい」

 お母さんがそう云ってくれた時、サッちゃんはスケッチのことをすっかり忘れていました。スケッチだけはコンク−ルに出すために、十七日の登校日までに描きあげて提出しなくてはならなかったのです。

 サッちゃんは竹中駅の前の大野川の景色を水際から見たところをスケッチしていました。
 まだ鉛筆で下絵を描いただけで、色を塗るのはこれからです。

 今日はもう十六日です。婆ちゃんの蓬莱船の話が頭の隅をよぎりました。
でも宿題のスケッチも大事です。結局、サッちゃんは川岸にスケッチの道具を持って下りていきました。 泳ぎに行くわけじゃないから、心の中ではそんなふうに婆ちゃんに言い訳していました。

 絵の具を溶かすための水を汲むために、流れのそばにいき、
水入れを水面に沈めようとしたその時でした。
 サッちゃんは急に足を滑らせて川に落ちてしまったのです。

 泳ぎには自信のあるサッちゃんでしたが、服を着たままでしたし、
 流れは見た感じよりもずっと強く、しかもサッちゃんを川底へひきずり込むように渦を巻いていました。 何度か水を飲んでしまい、近くで泳いでいる友達に助けを呼ぶこともできないまま、
 気が遠くなってしまいました。

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 気がつくといつのまにかサッちゃんは、川面に浮かぶ船に乗っていました。
 船にはほかにも大勢の人が乗っています。
 どの人の顔も、いつかどこかで見たことがあるような懐かしい顔ばかりでした。
 どの人もサッちゃんには振り向きもせずに、懐かしそうな、名残惜しそうな顔をして、
 遠くの家並みを見つめています。
 サッちゃんはこれが蓬莱船かも知れないと思いました。
 そして少しも恐いと思っていない自分がすこし不思議でした。

 そこに婆ちゃんが乗ってきたのです。
 サッちゃんが婆ちゃんの姿に、うれしくなったのと同時に婆ちゃんもサッちゃんに気づきました。

 「婆ちゃんっ」

と声をかける間もなく、婆ちゃんは恐い顔をして、サッちゃんをにらみ

 「この子はどうしてここにいるんだい。あれほど盆の間は水に近づかないように云って聞かせたのに。そんな子は婆ちゃんの子じゃない、さっさとお行き」

 よそよそしい、きびしい声でそう云いながら、婆ちゃんはサッちゃんの胸を強く押しました。
何度も何度も婆ちゃんに胸を押されて、
 サッちゃんはとうとう船から水の中に、また落ちてしまいました。

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「やあ、水を吐いたぞ。もう大丈夫だ」

 遠くで誰かの声がしました。目を開けると大勢の人がサッちゃんをのぞき込んでいました。
 高校生の大きいお兄さんがサッちゃんの胸を押して人工呼吸をしてくれていたのです。

 「目を開けたぞ」

 心配そうに固唾をのんで見ていたみんなが歓声を上げた時、
 サッちゃんは急いで川面に目を向けました。

 蓬莱船の上の婆ちゃんが、手を振りながら、うっすらと姿を消して行くところでした。
 さっきの恐い顔ではなく、いつものように優しい顔で微笑んでいるのが見えました。

 「婆ちゃん、ごめんなさい。そしてありがとう」

 もう見えなくなった婆ちゃんに、サッちゃんは誰にも聞こえない声で、そっとお礼を云いました。

                                                          おわり